
<プログラム解説>
*内容は多少変更する場合があります。ご了承ください。
                                           
■イントロ+対論
出演:タナカノリユキ×下條信輔
多元世界の射程
この世で私たちの見る/聞くものはすべて、「見えた/聞こえたかも知れない他のもの」に裏打ちされて、はじめて意味を成します。そしておそらく、こうした「かも知れないもの」の限界は、私たちの認知と情動と記憶の限界によって規定されているはずです。メディアで報道される想像を超えた酸鼻な事件も、経済の世界的な破綻も、政局の意外な結果も、ミサイルの発射や戦争の勃発ですらが、例外なくそうなのです。
過剰な情報と潜在的な操作が、私たちの選択肢ばかりか想像力をさえ制約しようとする世界にあって、なぜこの今ある現代社会だけが唯一の現実なのか。それ以前にそもそも、私たちの生と実存を可能にした物理的、生物学的現実の「唯一性」とは何なのか。
生の問題意識を提示します。
                                           
■基本レクチャー
出演:佐藤勝彦
現代宇宙論の描くパラレルワールド
「宇宙は“無”の状態から量子的効果で生まれ、インフレーションと呼ばれる急激な膨張を経てビッグバン宇宙が作られた」。これは現代物理学によって描かれた宇宙創生のパラダイムである。“無“からの宇宙創生論やインフレーション理論は同時に、相互に因果関係を持つことのできない宇宙が無数に創生されることを予言する。無数の宇宙、世界が存在するという説は、量子力学の多世界解釈として昔から提案されているが、近年、物理学の究極の統一理論と期待されている超弦理論も多様な物理法則を持った宇宙が無数に存在することを示唆している。無数の宇宙があることは、今日、ひとつの宇宙(ユニヴァース)に対してマルチヴァースと呼ばれている。一方、私たちの宇宙はあたかも生命、人類が生まれるように物理法則が微調整されているように思われる。「人間原理の宇宙論」では、それは無数の宇宙の中で認識主体(人間)が生まれる宇宙のみが認識されるのだから当然だと考える。ここではマルチヴァース(パラレルワールド)と人間原理、物理法則について考えてみたい。
                                           
■基本レクチャー
出演:野矢茂樹
「人間の自由は科学の名のもとに幻想だとされてしまうのか」という問いに対して「そんなことはない」と答えたい。
ものごとにはすべて原因がある。そして同じ原因からは同じ結果が生じる。こう考えると、これまでの過去の履歴を踏まえて可能になる未来の世界のあり方はただ一つに決まってしまうことになる。これは「決定論」と呼ばれる。そして、決定論のもとでは人間の自由が成立する余地はない。では、量子力学のように「非決定論」をとればよいのだろうか。いや、そうもいかない。自由のために求められるのは非決定性ではない。われわれは、もちろんある程度という制限付きではあれ、自分で、自由に未来を選びたいのである。たいしたことを言うつもりはない。次の瞬間に右手を挙げる自由、これでよい。私は右手を挙げることも挙げないことも、自由に選べる。それは決定論とも非決定論とも折り合わない。では、科学の名のもとに人間の自由は抹殺されねばならないのだろうか。この問いに対して、「そんなことはない」と答えるために、せめてその道筋だけでも示してみたい。
                                           
■ビデオレクチャー
出演:井辻朱美
パラレルワールド――二極化から多元宇宙へ
『指輪物語』のトールキンがファンタジーのジャンルにおいて行った最大の意識変革とは、物語を書くのではなく、神のごとく世界を(準)創造することにあった。幻視することから「創る」ことへ。詳細な地誌、神話、年表、歴史、言語、習俗の構築によって、虚構はリアルへとスライドされ、この(無駄に膨大な)データベースは以後のファンタジーの作法となるのみならず、多様なゲーム世界を生みだし、現実(ホーム)と虚構(アウェイ)の二極構造を解体してゆく。映像などのテクノロジーによる虚構の自立化が、それをさらに押し進め、90年代以降の多くのファンタジーは「パラレルワールド」を自明な枠組みとして採用しつつある。
                                           
■対論
出演:タナカノリユキ×下條信輔
知覚と身体の多元世界解釈
「私たちは現にこのようにして生きている」。身体のありようや知覚・記憶の中に、多元世界解釈の契機は不可避的に含まれている、私たちはそう思うのです。仮想された「反実」との対比においてしか、意味は成り立ちません。そしてそれらが「意思決定」と本質的に関わり、無数の多元世界を紡ぎだすのです。アドリブ対論で、知覚と身体の多元世界を考えます。
                                           
■総括討論
出演:佐藤勝彦×野矢茂樹×タナカノリユキ×下條信輔
反実仮想が現実を支えている?
イントロでもふれたように、パラレルワールド=多元世界はひとりSFの用語であるにとどまらず、ファンタジーやコミックの世界、量子力学や宇宙創生論、ひいては自由をめぐるこころの哲学に至るまで、幅広く言及されてきました。しかも、ありがちなように「異分野で同じ語がまったく違った意味で使われている」という状況ではなく、むしろほとんど同じ意味で使われていることに、驚愕を禁じ得ないのです。
今例えば、箱の中にガイガーカウンターと連動した毒ガス発生装置と猫がいて、猫の生死は50パーセントだが、その結論は箱を開けない限り「不確定」だとしましょう。ここで言う観測者効果と、ファンタジー世界の想像力は、どこでどの程度、関係しているのかいないのか。
また例えば、ある車を購入して、思いのほかの乗り心地と燃費の悪さに「後悔した」としましょう。その後悔はいうまでもなく、「あっちの車を選んでいたら」という想像力に依存するはずです。が、そこでいう想像力とは、タイムマシンのパラドクスや、コペンハーゲン解釈でいう「ふたつの可能な世界の重ね合わせ」という話の説得力と、どこがどの程度、関係するのかしないのか。
このような対話の中から、人間のあり方を規定する根底的なものがみえてくるかも知れない。またなにか、現代人としての生きる指針さえ得られるかも、と期待するのです。
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