実施概要 内容+出演者

large image
[ カタストロフィ:破断点 ]とは

地震、大津波、鉄道の脱線転覆……。この1、2年の間ほど、天変地異の相次いだ時期は珍しかったと思います。またもう少し視野を拡げれば、水害、干ばつと飢饉、原発事故、大規模テロ等々。人類の歴史、ことに現代社会史は、こうしたあらゆる種類の突発的大破壊と、その都度繰り返される〈「なぜ」→安全神話の再構築→形を変えて再び訪れる破局〉が織りなすタペストリーの様相を呈しています。このことは文明の進歩の理念に疑義を差し挟むでしょうか、あるいはまた人類の知能進化の不可避の代償なのでしょうか。

突然の破局は私たちを不安に陥れ、情緒を揺さぶると同時に、原因への科学的探究心をもそそります。そこでは、一見天災に見えるものが実は人災だったり、逆に人災に思えるものが環境要因に支配されていることが、次第に明らかになりつつあります。戦争や侵略にしたところで、文明盛衰史の規模で見れば、人災による「破局」と割り切ることもできないのです。さらに戦争は単に勃発するだけでなく、一定期間持続するものであり、それを持続させる日常的なシステムが働くことも見落とせません。

破断点=カタストロフィはまた、数学の専門用語でもあります。そこでは破断点の予期し難さ、変化の圧倒的な巨大さとスピードが幾何学的な面上で抽象化され、カオスとも相通じる非線形性、不連続性の相の下に理解されています。このぐらいに抽象化することで明らかになることの一つは、カタストロフィが何も凶悪なるものの鋳型だけではないということです。天才の頭脳に突然訪れる天啓や創造性もまた、よく似た予測不可能性と飛躍を示します。古来、災い転じて福となすというように、災いと福は紙一重なのかも知れません。

こうしたさまざまな様相をすべて削ぎ落とした果てに、命の誕生と、そして何よりも死があります。思えば、生と死ほどに突然で不条理な破局は他にないのです。最先端の現代生物学は、このような死生観にインパクトを与える力を持ち合わせているのでしょうか。

カタストロフィ=破断点に、私たちが深甚なる関心を抱く理由はただひとつ。その多様な側面を通して、私たちが私たちであること、人間が人間であることの根本的な制約条件が透かし見えるからなのです。

さて、人間の存立基盤の危うさと不条理さ、その光と陰をスナップショットのように鮮やかに捉えることができるでしょうか。
 
監修者:下條信輔・タナカノリユキ
     
back to RENAISSANCE GENERATION TOP