実施概要 内容+出演者 結果報告

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現代人は果たして自由を勝ち取ったのか?


「決断なき自由」、それはある意味、情動の危機と同義語です。情動とは、「論理、分析、理性に納まり切らない人間性の本質」と言っていいでしょう。その情動が今、政治プロパガンダやマーケティング戦略によって巧妙に用意された見せかけの自由に踊らされ、われわれ現代人は「決断なき自由」の罠に嵌っているように感じられるのです。そこで今年の[ルネッサンスジェネレーション]は、国際政治学、社会学の専門家をゲストにお招きし、権力と自由について、また世界情勢の虚と実について論じつつ、現代社会のもっとも先鋭的な現象に切り込みます。

 ・日時:2008年11月1日(土)13:30-18:00(13:00開場)
 ・会場:草月ホール 東京都港区赤坂7-2-21 草月会館B1F
 ・入場無料(参加ご希望の方はご予約ください)
 ・本プログラムは終了しました。
主催:金沢工業大学
協賛:日本アイ・ビー・エム株式会社 / 富士通株式会社 / 株式会社東芝 / 株式会社映像センター/
凸版印刷株式会社
後援:公益財団法人日本科学技術振興財団

総合プロデュース:二飯田憲蔵(金沢工業大学)/ 赤羽良剛(BRAIN FORUM INC.)
 
■監修:
タナカノリユキ 
(アーティスト・クリエイティブディレクター・アートディレクター・映像ディレクター)
下條信輔
(カリフォルニア工科大学教授、ERATO下條潜在脳機能プロジェクト/ 知覚心理学
 ・認知脳科学・認知発達学)
 
■ゲスト出演者:
田中 宇 
(国際ジャーナリスト/ 国際情勢解説者/ アメリカ覇権分析)
大澤真幸
(京都大学大学院教授/ 比較社会学・社会システム論)
   


<プログラム解説>

*内容は多少変更する場合があります。ご了承ください。



イントロ+対談 「情動」と「自由」
出演:タナカノリユキ×下條信輔

心理学や認知神経科学でいう情動とは、さまざまな感情の基礎となるからだの生理、心理、神経過程の総称です。脳内にも、情動系とよばれるネットワークがあります。それがホメオスタシス(生存のためのさまざまな調節)や報酬系と連動しながら、恐怖や快の主観経験や、選択行動のジェネレータとして働いているのです。このレクチャーではまず情動に関わる神経系とその進化について概観します。その前提に立って、選好と選択の神経機構、報酬と注意の相互作用、テレビCMの効果の背後にある条件づけメカニズム、善悪の判断に関わる神経倫理学の知見など、具体的な例から情動系の働きを浮き彫りにします。その上で個人の「自由」の身分は、神経学的に厳密に言うとどう扱われるべきなのか、問題提起します。対論ではこの問題を核に、情動―報酬―潜在認知を巡るさまざまな現代的テーマに話が広がることでしょう。



基本レクチャー 情動戦略やりすぎの果てに
出演:田中 宇


ここ数年、米英イスラエルを中心とする先進国では、中国、ロシア、イスラム諸国など、台頭すると先進国の脅威になる国々を予防的に封じ込めるため、マスコミを動員して人々の善悪観を操作する「情動戦略」とも呼ぶべき手法がとられてきた。テロ戦争やイラク戦争では、イスラム世界と欧米の双方の人々の怒りと恐怖心を煽り、長期対立が画策された。チベットやミャンマーの人権問題は対中国、ウクライナやグルジアの民主化運動は対ロシアの封じ込め戦略だ。日本での北朝鮮ミサイルや拉致問題の大騒ぎは、日米が中朝と敵対する構図の強化である。人々を不安に陥れるわりに根拠の薄い地球温暖化問題も、先進国が新興工業国の経済成長をピンハネする目的だろう。とはいえ情動戦略は、米ブッシュ政権が中露イスラム敵視策をやりすぎて失敗し、国際社会では欧米日の影響力が低下し、中露が台頭している。やりすぎは稚拙さの結果というより、故意的な重過失に見える。



基本レクチャー 〈自由〉の在り処
出演:大澤真幸


自由な主体であることは、人間が人間であることの条件である。人間を他の事物/他の動物と分かつ特徴は、選択の自由を有すること、あるいは自由度の圧倒的な大きさにある。しかし、他方で、われわれは、世界は因果関係のネットワークに覆われており、そのネットワークから逃れるすき間がないことも知っている。そうだとすると、自由は、どこにあるというのか? 確かに、20世紀の初頭に登場した量子力学は、因果的決定論の世界を突き破り、この世界に「偶然性」が働く余地を切り開いたが、それは、必ずしも、自由のための領域を切り開くものではない。人間は自由であるというわれわれの直観と、決定論的であろうが確率的であろうが、すべての出来事が因果関係の連鎖で結ばれているという合理的な世界観とは、両立できないように思われる。自由など虚妄に過ぎないと見なして、後者の世界観に徹しようとしても、自由の存在を前提にしなければ、人間の生活の最も基本的な部分ですら成り立たない(たとえば、われわれは人を責めたり、褒めたりするとき、その人が自由な主体であることを前提にしている)。本講演では、いかにして、〈自由〉をこの世界の中に合理的に位置づけることができるのかを、論ずる。これは、一見、きわめて思弁的・抽象的な問題に感じられるだろうが、実は、きわめて実践的でアクチュアルな問題である。たとえば、人は、凶悪な犯罪者が出たとき、その責任能力を問うことができるかを話題にしたり、その犯罪への生育環境や遺伝の影響を云々するが、このとこ主題になっているのは、まさにこの問題である。



総括討論 [情動に流されて……]
出演:田中 宇×大澤真幸×タナカノリユキ×下條信輔


ここまでのレクチャーや対論から、少なくともひとつの大きな疑問が湧くはずです。人間とは理知的で分析的で論理的な存在である。人間とは計算機械である。さらに人間とは功利的に、自己の利益を最大にするように、自らの意思で動くエージェントである。そういう近代的な前提そのものが、現代社会では通用しないのではないか。とりわけ市場や政治、宗教、国際紛争のように、社会集団のダイナミクスとして大きくなればなるほどに。
あのスピノザが早々と予言していたとおり、政治権力は近代自我以前の心の深層に分け入り、情動を直接コントロールしようとしています。私たちの自由は今や単に失われるというよりは、幻想としての正体が明らかになり、(被)制御と両立するゾーンを拡大しつつあるように見えるのです。

イデオロギーとしての民主主義は、果たしてそのまま成立するのか。宗教的な力がますます勃興するように見えるのはなぜか。インターネットをはじめとするマスメディアは、私たちをどこへ連れていこうとするのか。「快適」という名の制御が、私たちを支配しつつあるのではないか --- たとえば社会正義という名の判断停止。またたとえば、エコという名の思考停止。そして作られた感動、などなど。例によって段取り無しで、ガチンコ討論します。

 

 
 
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