数学的に取り扱われたガルヴァーニ電池
1827年
ゲオルグ・ジーモン・オーム(1789-1854)
 オームは優れた錠前製作工だった父親の影響と、父が自ら息子を教えた数学、物理、化学の知識によって子供の頃から自然科学研究に興味を持っていました。学位を得て、エアランゲン大学を1811年卒業後、そこで一年半程私講師をした後、バヴァリアで実科中学校の教師をした後、1817年に、ケルン理工科学校の上級講師となり、物理学を教えると同時に、そこのよく整った物理実験室を用いて、本格的に物理の実験研究を始めました。
 その時期にラグランジュ、ルジャンドル、ラプラス等を読み、特に1820年のエルステッドの電磁気現象の発見に関心を覚えてこれを研究し、電磁気学の実験を始めたのです。1825年になって、彼は本論文のテーマの研究に着手しました。1926年に一年間の有給(半額ですが)研究休暇を得て、この研究を続けるためと、大学での職を見つけるためにベルリンへ行き、研究は成功したものの、大学でのポストは得られませんでした。オームは不運な人で、才能に満ち、価値ある研究成果を発表しながらも、何故かそれらの成果は認められず、無視され続けたのです。
 オームは本論文のテーマである電流に関する研究を、先に熱伝導についてフーリエが提出した理論からの類推によって行いました。オームは、電圧の違いによって起電力が生じることを、温度の違いによって熱の伝導が起きことになぞらえ、この仮説に基づいて長さや太さの違う針の中を電流が伝わって行く様子を調べたのでした。電流を測定することに関しては既にアンペールによって正確な測定法が確立されていたので、その方法を用いて実験を正確に行ない、電流の強さは針金の断面積に比例し、針金の長さに反比例することを確かめました。さらにその針金に特有の抵抗は簡単な式 E=IR で示せることを確立したのです。ここでEは起電力、Iは電流の強さ、Rは抵抗の大きさです。
 オームはこれらの実験と結論を1827年に本書にまとめて世に問うたのですが、この業績は不幸にも当時の学者の認めるところとならず、この研究を行った大学で教授の職を得ることもできませんでした。しかし、数年たって、オームの業績は諸外国で認められるようになりましたが、オームがイギリスの王位協会からコプリー・メダルを受けたのは1841年、王位協会会員の栄誉を得たのは実に1842年のように遅れたのでした。さらに彼が生涯切望していた大学教授職、ミュンヒェン大学の招請教授に任命されたのは1849年で実に彼の死ぬ 5年前のことでした。
 現在「オームの法則」として知られるこの法則の発見によって、オームが電気現象を精密な定量的科学に仕上げたので、すべて数学的解析法が電気現象に適用できるようになったのです。オームのこの業績ならびに他の業績を讃えて国際電気会議は1881年電気抵抗の標準単位を「オーム」と称する事をきめたのでした。