筋肉運動による電気の力
1791年
ルイジ・ガルヴァーニ(1737-1798)
 本書は、連続して流れる電流としての電気を初めて発見し、ヴォルタによる電池の発明を導いた画期的な書物です。ガルヴァーニは、ボローニア大学で当時の指導的な医学者から医学を学び、1759年卒業の後は外科医としてのキャリアを始め、かたわら解剖学の研究をしていました。その後、ボローニア大学の講師、解剖学講座の助教授を経て、1766年にはボローニア解剖学博物館の学芸員となり、1782年にはボローニア科学大学の産科学教授となったのです。
 彼の初期の研究関心は解剖学にあり、耳の解剖学的研究や鳥の解剖学の研究、特に鳥の耳の構造について調べ、比較解剖学の分野で名声を得ました。1770年代になって、彼の関心は解剖学から、より生理学的見地からの研究、特に筋肉や神経の研究へと移って行きました。70年代初期に、彼は筋肉の刺激反応、神経に対する阿片麻酔の効果等を、蛙を使って研究し、発表しています。
 この研究は彼に、主として、イタリアで何人かの学者によって18世紀初期に行われた神経に対する電気刺激の研究に対する関心をよび起こさせました。そこで、ガルヴァーニは1780年末から、脊髄と脚の神経を露出させた蛙の下股を用い、ガラス板を金属箔ではさんだコンデンサーの上にそれをのせ、摩擦起電機からの静電気を導線を用いて、脊髄や神経に接触させる実験を行いました。勿論、蛙の脚は激しく痙攣し、ガルヴァーニはこの筋肉の力は電気の強さに比例し、従って、導線に接触している点からの神経の長さにこの力は反比例するのであろうと推測しました。
 ところが、実験を繰り返す内に、蛙の脚が起電機からの接続を切られているにもかかわらず、脚神経が下におかれたコンデンサーの金属に触れている限り、起電機が放電した時は常に痙攣する事実を発見したのです。彼はこれを空中電気によるものと考え、雷でも同様の結果が起こると考え、脊髄に真鍮のフックを付け、庭に張った鉄線に引っ掛けて吊るしました。稲妻が、光った時、勿論、蛙の脚は痙攣したのですが、奇妙なことに、晴れた空の時でも、脚を吊るすとやはり痙攣が生じたのです。そこで、彼はこの現象は空中電気ではなく、むしろ真鍮と鉄という二種の金属にあると正しく洞察し、室の中で様々な組合せでこれを実験し、金属の種類によって、痙攣の強さが異なる事を確認したのでした。このことから、彼は18世紀に広く流布しながら確証は与えられていなかった理論、動物の神経には、電気と同じ様な流体が(すなわち動物電気)が流れているという説に対し、確かな証拠を得た、と誤った結論を引き出したのでした。
 彼はこの研究を本書にまとめ出版し、公表したのです。本書には上で述べた実験の詳細が、美しいエッチングの図版と共に、詳しく説明され、特に第四部では、筋肉を動物電気におけるライデンびん、神経を導線の様なものとし、動物電気は脳における血液中に発生し、神経を通じて筋肉の中核に伝わるという説明を加えています。
 彼は実は、湿った環境中における異種の金属の接触に於いて生ずる連続的電流という、現在では、彼の名を取って「ガルヴァニズム」と呼ばれる現象を発見したのですが、誤った解釈をしたのでした。正しい解釈は、彼の論文を読んだヴォルタによってなされ、それに基づいてヴォルタは最初の電池を発明したのです。
 1790年代半ば、彼はナポレオンのイタリア支配に忠誠を誓うことを拒否したため、大学を追われ、彼の実験の解釈についてのヴォルタとの論争で評判を落とし、失意の内に亡くなりました。