力学論
1743年
ジャン・ル・ロン・ダランベール(1717-1783)
 ダランベールはデイドロと共に、18世紀に知られていた科学、技術、産業の全知識を網羅し、それ等の知識の相互関係を秩序だった体系としてまとめようという極めて野心的な大百科辞典、全ヨーロッパの啓蒙思想に非常な影響を与えた「百科全書」を編纂した人として極めて有名ですが、彼はまた優れた数学者、物理学者でもありました。彼は不幸な生まれの人で、デトゥーシュという軍人貴族と遊女ド・タンザン夫人との間の私生児で、パリの聖ジャン・ル・ロン教会の階段に捨てられ、ガラス職人夫婦に拾われて育ったのです。彼の名前はこの教会の名にちなんで付けられたのでした。実父はダランベールを実子と認めようとはしなかったのですが、幸いに充分な養育費は出してくれたので、彼は高等教育を受ける事が出来たのでした。
 彼は1735年にマザラン大学を卒業し、研究生活に入りましたが、才能ある新進の学者として認められ、1741年には早くもフランス科学アカデミーに加えられています。彼の数学的関心は応用数学にあり、とりわけ数学を動力学の問題に適用する場合について研究しました。本書は彼の主著で、数学的力学論で有名な、「ダランベールの原理」と呼ばれる力学原理を提出した書物です。この原理は、ニュートン力学の第三法則を一般化して、定式化したもので、現代的表現を用いれば、ある質点系に作用力と有効力という二つの力が働いている場合、「作用力と有効力の逆向きの力から成る力の系は釣り合う」というものです。この原理はラグランジュにより発展させられ、ラグランジュはこの力の系に仮想変位の原理を導入し、解析的に表現することによって力学の全分野に妥当する一般原理を見出し、そこからラグランジュの方程式として知られる新しい運動方程式系を樹立したのです。ダランベールはまた流体力学、風の理論、振動する弦の理論における応用数学的問題を研究しました。また彼は、ヴォルテールの親しい友人であり、共に演劇を楽しむ趣味を持っていたので、音響の実験的研究や音の調和の音楽理論についても論文を書いています。彼の純粋数学に対する貢献は、編微分方程式理論の創始とそれを発展させたことにあります。1761年から1780年にかけて、彼はその数学研究の成果八巻を出版しています。彼はロシア女帝エカテリーナII世やドイツのフリードリヒII世から、その科学アカデミーに来るよう招待を受けたのですが、固辞し、養母の死まで30年間彼女と共に暮らしたのでした。