計算機械についての論述
1710年
ゴットフリード・ウィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)
 微積分学の他にライプニッツが残したもうひとつの数学上の大きな業績は、記号論理学を創立し、その基礎を築いたことですが、彼は、普通の言葉(これも記号体系のひとつですが)に代り総ての思考や推論を正確に誤りなく記述できる普遍的な言語としての記号の数学的体系ー思考の計算法・普遍数学ーを創造する事を既に20才の時に夢みて1666年に、彼自身の言葉によれば「学生くさい試み」であった「組み合わせの手法について」という論文を書いています。しかし、彼は当時の近代数学については無知だったので、この思想はそれ以上に発展させる事は困難でした。1672年、外交官としてパリ滞在中、彼はホイヘンスに出会い、ライプニッツの中に数学的天才を見出したホイヘンスは喜んで、ライプニッツに数学を教えたのです。彼は数学の虜になり、微積分法の確立へと進むのですが、この普遍的な記号論の研究も再開し、幾つか重要な論文を書きました。しかし、多忙な彼は、この方面の研究にあまり時間がさけず、また、彼のこのアイデアは二世紀以上も時代を先行していたので、当時の数学者たちには幻想としか受け止められず、無視された事も手伝って、この研究を体系的に仕上げることは出来ませんでした。しかし、この記号論理学的考えと恐らくは、ホイヘンスがライプニッツにくれたホイヘンスの名著「振子時計」に啓発され、またパスカルの加算器(1642年) の存在も知っていたので、計算機に関する着想を得て本論文を書いたのです。彼の計算機は、パスカルのものよりははるかに進んでいて加減算の他、乗除計算もできるもので、1694年に試作品を作りました。これは今でも、ハノーファーの国立図書館に保存されていますが、これはいわゆる「ライプニッツの歯車」と呼ばれる機構を用いた機械式計算機で、この機構は1980年代まで手動式計算機に用いられていました。現在電卓やコンピューターが出現して彼のこの計算機は無用のものとなった様に見えますが、しかし、この思想の基本になった彼の記号論理的思想は、1854年のブールの業績によって息を吹きかえし、20世紀になって、ホワイトヘッドとラッセルがブールを発展させ、これらの研究に基づいてポストとテューリングが「オートマトン」を発明して、ライプニッツの夢を半ば実現し、それが遂にフォン・ノイマンによってコンピュータの基本的な考え方に用いられる事になったのです。ライプニッツは計算機械の効用について、退屈な計算作業から人間を解放する事と、計算機の発展によって、仮説が検証できる様になる可能性について述べています。コンピュータは現在、前者の事をなし遂げましたが、後者については、その研究はやっと始まったばかりと言えるでしょう。