光についての論考
1690年
クリスティアン・ホイヘンス(1629-1695)
 この書物で、ホイヘンスは機械論的な光の理論を展開し、ホイヘンスの理論として現在でも知られている波動の伝播の原理を作りあげました。ホイヘンスは、光をエーテル中の衝撃波または脈動が一つに連なったものであると考え、またエーテルとは微細な弾性微粒子がぎっしりつまっている均質な媒体であると考えました。光を出す物体はこの微細粒子に衝撃を与え、その脈動は隣り合った粒子につぎつぎと伝わって行く。光はこのように、媒体の中を伝播して行く振動であるとしたのです。さらに光の波は球面の波頭をもち、その波頭はまた個々の振動している微粒子の小さな球面波で構成されていることを理論的に述べました。つまり、この球面波の先頭にある微粒子は、おのおの第二の波を起すのです。このような形で、光が直進すること、また反射、屈折などの現象を説明できたので、この説明のやり方は現代でも物理学の教科書に載っています。
 ホイヘンスはまたアイスランド石(方解石の一種)によって光が複屈折する現象を、二つの球面波が異った速度で進むという仮定を用いて説明しました。しかし、彼は偏光や回折という現象はよく知ってはいましたが、それらの現象を正しく説明するまでには至りませんでした。波動についてのホイヘンスの考えは、衝撃波というパルス説に止るのであって、本当の意味での振動説ではなく、振動数、波長、周期といった観念は全く持っていなかったからです。
 ホイヘンスは1678年フランスの科学アカデミーに於て、本書に収められた論文を発表しましたが、その時、ホイヘンスはもちろん、1671年にニュートンが王立協会で報告した有名な光の理論を知っていたのです。それですから、ホイヘンスの光の波動説はニュートンの光の粒子説に対抗して、これを批判したものと考えられています。しかし、ホイヘンスの理論は十八世紀の光学に君臨したニュートンの偉大さの影にかくれて、なかなか世に知られず、百年以上も無視されて来ましたが、十九世紀になってヤングやフレネルが、ホイヘンスの理論を光の干渉や偏光の説明に利用し、波動説は世に出ることになったのでした。