実用蒸留法
1507年
ヒエロニムス・ブルンシュヴィヒ(c. 1450-1512)
 ブルンシュヴィヒは、ストラスブール(当時はドイツ領)生まれの外科医ですが、当時の外科医の大多数は理容師(床屋)を兼ねているのが普通で、医学上の知識も技術も低かったのです。彼は、医学の教育をイタリアとフランスで受けたと主張していますが、これは疑わしく、多分彼も独学で医学を修めたと思われます。けれど、彼は優秀で研究好きだったので、外科医として成功し、 ヨーロッパ各地を旅して専門上の見聞を広める時間的、経済的余裕を持つことが出来ました。彼は文才にも恵まれていたので、床屋外科医や一般の人の為に、傷の処置法、骨折、脱臼の処置、開頭手術や手脚の切断手術のやり方、それらの為に必要な薬の準備法についての書物を2冊書き(1481年ー1497年)、それは、実用性と豊富なイラストとによって、当時イタリアやフランスより遅れていたドイツ医学の水準を高めるのに役立ったのです。その書物によると彼はガレノス( 130年頃ー 200年頃)、(ギリシアの医学者で、彼の医学理論は16世紀まで絶対の権威を持っていた)以来の医学的伝統に基本的に忠実でしたが、実際の彼の経験上の知識から批判すべきところは批判しています。次いで彼は、薬品の製造法に関する小冊子(1500年刊) を書き、これも評判になったので、大幅に増補改定をほどこして、1507年に本書として出版しました。
 本書には各々の病気や怪我について効く薬を挙げ、次いでそれらの薬を、どの様な薬草からどの様に抽出するかについての方法を詳しく述べています。その抽出の方法は蒸留で、美しいイラストを沢山使って、フラスコや炉など、蒸留装置の様々な形式、またその取り扱い方、蒸留法を解り易く解説しています。この為本書は薬剤製造の最も権威あるハンドブックとして16世紀まで尊重されました。また巻末には貧乏な人の為の安価に入手出来る薬のリストがつけてあり、このリストは独立して何度も出版され、現在の大衆向け薬品の考え方のモデルとなったのです。また、この様に組織的に薬品製造法ー蒸留法をまとめる事によって、本書は、中世の魔術的化学と近代の科学的化学をつなぐ鎖のひとつとなったのです。