プトレマイオスの偉大なる「アルマゲスト」のヨハネス・レギオモンタヌスによる要約
1496年
レギオモンタヌス(ヨハン・ミュラー)(1436-1476)
 プトレマイオス(同名のプトレマイオス一世とは別人)の生涯については詳しい事は判っていませんが、エジプト生まれでやはりアレクサンドリアの「ムセイオン」で研究をした天文学者・地理学者です。彼は天文学上のユークリッドの様な人で、アナクシマンドロス(紀元前6世紀に活躍)からピタゴラス学派(同.5世紀頃)、プラトン(同.427-347 頃)、エウドクソス(同.408-355 頃)、アリストテレス(同.384-322 )、ヒッパルコス(同.190-120 )に至る天動説宇宙モデル--地球は宇宙の中心にあって静止しており、太陽、惑星、その他の天体は、地球のまわりをまわっているという宇宙モデル--を集大成し、実際の天体観測結果に合う様に彼自身のアイデアも付加えて、天動説を確立しました。プトレマイオス宇宙体系と呼ばれるこの理論は、非常にうまく「見かけ」の天体運行を説明できたので(もちろん誤りだったのですが)、コペルニクスが1543年に地動説(太陽を中心として、そのまわりを地球その他の天体がまわっているという説)をあきらかにして、天動説をくつがえすまで、1300年もの長い間真実と信じられていたのです。プトレマイオスの宇宙論の著作は後世のギリシア人に「メギスト・マテマティク・シンタクシス(最も偉大な数学書)」と呼ばれアラビアに伝わりました。アラビア人達は、アラビア語の定冠詞アルをつけて、この本をアルマゲストと呼んだのです。
 レギオモンタヌスは本名をヨハン・ミュラーというドイツの天文学者で、生地ケーニヒスベルク(王の山の意)をラテン訳してレギオモンタヌスと名乗ったのです。彼はプトレマイオス説の熱烈な信奏者で、「アルマゲスト」をラテン語に訳して抜粋し、彼自身の注釈を加えて出版しました。これが本書で、プトレマイオス理論の二番目の出版で最も美しい版です。