アルベルティ「建築十書」
1485年
レオン・バティスタ・アルベルティ(1404-1472)
 アルベルティは15世紀ヨーロッパで最も優れた建築家のひとりであると同時に、イタリアルネサンス建築の最も重要な建築理論家でした。彼は、パドゥア(イタリア北部の都市)でラテン語とギリシア語を学び、次いでボローニア大学(世界で最初の大学として有名です)で法学と哲学を修め、また独学で数学と物理学を勉強し、幅広い知識を身につけました。27才の時にその知識をかわれて法王エウジェニオIV世の宮廷に仕え、1434年に法王に伴われてフィレンツェへ行き、そこで初めてドナテルロの彫刻やブルネルスキの建築(特にサンタ・マリア・デル・フィオーレ教会)等の芸術作品を観て、美術に対する興味をかき立てられたのです。彼は絵画や彫刻、透視図法等の製作, 研究を始めました。この時期の彼の作品としては、ワシントンの国立美術館にある自画像浮彫が残っている唯一のものです。
 彼はブルネルスキに強くひかれ徐々に建築に興味を持ち始めました。アルベルティは、それが美術であれ何であれ、理論的関心を強く持つ人だったので、「絵画論」(1436年刊でブルネルスキに捧げられています) 始め、道徳論、社会論、地図学、彫刻等、自分が興味を覚えた分野に関する沢山の理論を書いています。建築についても例外ではなく、古代ローマ建築遺跡の調査、建築の設計などかなり建築についての経験を深めた後に、彼の建築理論を本書にまとめたのです。
 当時のイタリアは、ルネサンスと言って、キリスト教中心だった中世を否定して、古代ギリシアや古代ローマの文化を理想としてそれを再びよみがえらせようとしていたので、古代ローマから伝わった唯一の建築理論書、ウイトルウィウスの書いた「建築十書」が建築家の必読の書となっていました。もちろんアルベルテイもこれを読み、深い感銘を受けたのですが、彼はそれを発展させて、彼自身の理想的な建築デザインを創造する為の理論を本書にまとめたのです。  彼は建築をあらゆる分野の学問の総合芸術として捉えており、例えば、建築家たらんとするものは、まず、絵画と数学とを学ばねばならず、社会や個人の要求に答えるものとして、政治システムをも知らなければならないと述べています。彼はウイトルウィウスにならって、この本の構成をし、題名も「建築十書」としました。この本は出版されるや否や建築家の間でベストセラーになり、広範な影響をヨーロッパ建築に与えたのです。彼の作品は割合多く残っていて、今日でも見る事が出来ます。私の好みで言えばフィレンツエにあるサンタ・マリア・ノヴェラ教会(1458ー1471) が最も美しいもののひとつです。