低速中性子によるウランの核分裂
1939年
オットー・ハーン(1879-1968)、
フリッツ・ストラスマン(1902-1980)
 ハーンとマイトナーは、1930年代半ばにフェルミによって試みられてあまりうまく行かなかった実験、低速度の中性子をウラニウムに衝突させる実験を、バリウムで処理したウラニウムを用いて行った処、非常に強力な放射能を持つ物質が出来る事を発見しました。1938年、ハーンはそれは、新しく放射性のバリウムが出来たのではないかと考え、そうならば、ウラニウムの核分裂が生じた為であると考えましたが、確信が持てず、発表しなかったのです。一方、マイトナーはユダヤ人の為ナチスに追われ、ストックホルムへ亡命して、そこでこの結果を公表しました。ハーンはストラスマンに協力してもらって実験結果の整理と考察をし、1939年、本論文を発表したのです。本論文によるとウラニウムの核は二つに分裂し、その際に強力なエネルギーが放出される事を確認しています。このエネルギーこそ、後に、フェルミとボーアの研究を通じて、原子爆弾となったものだったのです。