空間と時間
1909年
ヘルマン・ミンコウスキー(1864-1909)
 ミンコウスキーはロシア生まれですが両親がドイツ系で、1872年にドイツに両親と共に移住し、ケーニヒスベルク( 哲学者カントの町、現在ポーランドのカリーニングラード) に住み、ケーニヒスベルク大学で幾何学に於ける公理主義の創始者、ユークリッド幾何学を直観の数学から論理体系としての数学へと転換させた数学者ヒルベルトと共に数学を学びました。1885年に学位を得て後、ボン大学、母校ケーニヒスベルク大学、チューリッヒ工科大学で数学を教授しましたが、友人ヒルベルトの運動によってミンコウスキーの為に創設されたゲッチンゲン大学の数学教授職につき(1902年)、その死までの7年間その職にありました。この短い期間に、彼はヒルベルトと友情を暖めながら共に大学で仕事をしましたが、ヒルベルトの数理物理学に対する興味に少なからず影響を受けました。ところが、この事が彼の業績中最大のアイデアを着想させたのです。
 すなわち彼は空間の数学=物理的な性質に関心を持つ様になり、その結果、従来考えられて来た様な空間は三次元であり、時間はそれと独立して一様に流れて行くという概念に疑問を持ったのでした。空間内の物は、三次元空間座標を定義する事によって、正確な位置を決定する事が出来ますが、出来事は空間的な位置(場所)のみでは決定できず、それと共に「いつ」起きたかという時間の位置が必要です。逆に時間は空間的な場所や物に結びついています。この事からミンコウスキーは、空間は本来時間の系列と独立して存在するものでなく、それと一体になった、したっがって四次元の 空間=時間連続体(四次元時空)なのではないかと考えました。そうするとこの四次元時空内の位置、四次元座標間の関係は、通常の三次元空間を扱うユークリッド幾何学では扱えないということになります。こうしてミンコウスキーはこの論文において四次元時空の存在とその為に必要な、四次元時空の幾何学の基本を発表したのでした。この時空はしたがってミンコウスキー空間とも呼ばれています。
 この論文は意外なところで反響を呼びました。1905年、アインシュタインは「運動物体の電気力学」を発表し、その中で特殊相対性理論の概念を提示していましたが、それを一般的概念として確立するためには三次元ユークリッド空間の概念では不充分であることが、彼には良く判っていました。そこへ彼の旧師のこの論文があらわれた訳ですが、この四次元時空連続体の概念こそアインシュタインが求めていたものだったのです。早速彼はこれを採用して「一般相対性理論」を書き上げ1916年に出版しました。これは重力場の現象を扱うため、そのミンコウスキー空間は曲がって(四次元的に)います。その様な空間を扱う幾何学は、実は以前にロバチェフスキーとリーマンによって創られていました。すなわち、いわゆる非ユークリッド幾何学がそれだったのでした。