放射性変換
1906年
アーネスト・ラザフォード(1871-1937)
 ラザフォードはニュージーランド出身で、たまたま、ケンブシッジ大学が初めて自校の卒業生以外の学生も受けいれることを決定した年に、奨学金を得てケンブリッジ大学に入り、トムソンの指導を受けたのでした。1909年、トムソンの跡をついでキャヴェンディッシュ研究所の所長となりました。彼はその頃最新の分野だった放射性物質の研究に手を染め、キュリー夫妻と共に放射線にα線とβ線の区別があることを発見してα線、β線と命名し、1900年には別種の放射線を発見し、それが電磁波であることを発見してγ線と名付けています。その他、α線の粒子がヘリウム原子核であることの発見、陽子の発見と命名、原子の構造の決定、α粒子を窒素原子に衝突させて陽子をたたき出し、水素原子の核を作り出す最初の人工的元素変換等、この分野で巨大な業績を残しました。
 ラザフォードは1902年頃からソディと共に、クルックスの見出した、ウランが放射線を出しつつ別の元素に変わっていくという現象をウラニウムやトリウム等を用いて研究し、それらが、放射線を放射しつつ壊れていく(放射性壊変)途中で中間的な元素に変わることを確かめました。そして、この中間元素のそれぞれの放射能量が半減する期間はそれぞれに一定しており、これを半減期と命名したのです。放射能はひとつの物質が他の物質に変わる時の副産物だったのでした。この事をラザフォードは1902-1903年にロンドン化学学会雑誌、及び、哲学雑誌(フィロソフィカル・マガジン)に発表しましたが、三年後に、新しい発見を加えて放射性変換(壊変)研究をまとめたのが本書です。