運動物体の電気力学について
1905年
アルベルト・アインシュタイン(1879-1955)
 9才になるまで、うまくしゃべる事が出来ず、両親に知恵遅れかも知れないと思わせたアインシュタインは、学校でも出来が悪く、1894年にミュンヘンの高等学校を「教室を混乱させる」という理由で退学になってしまいました。ドイツに嫌気がさした彼は、父親を説いて、彼にスイスの市民権をとってもらい、1896年に浪人を一年したあと、二度目の受験でスイス連邦工科大学に入学することが出来ました。
 けれども、ここでも彼はまあまあの成績に止まった様で、卒業に際し、大学にポストを得て残るという望みはかなえられず、しばらく家庭教師をしてしのいだあと、1903年にスイス特許局の三級技師の職を得ます。ようやく生活を安定させた彼は、興味を持ち続けていた理論物理の問題を考え続ける事がようやく出来る様になったのです。
 僅か2年後の1905年、彼は四つの論文を「ドイツ物理学年報」をたて続けに発表しましたが、それらの論文はいずれも彼以前の物理学全体をひっくり返し、20世紀の物理学を決定した偉大な業績だったのです。
 それらの論文は、アインシュタイン以前の、 200年以上も不動の地位を保って来たニュートン力学を「古典」物理学としてしまったのでした。四篇の1905年論文の内容は、ブラウン運動の数学的分析により初めて原子の大きさの測定を可能した論文、光電効果の解釈にプランクの創始した量子論を適用し、光電子(フォトン)の概念を提出し、それによって光の放射の本質を解明した論文、それに標記の本論文と、それに続く有名な質量とエネルギーの相互変換の可能を示した有名な公式E=mc2(E:エネルギー、m:質量、c:光速)を提示した僅か2ページの論文ですが、このうちの光電効果の研究に対して1921年度のノーベル賞が与えられました。 しかし、これらの内で最も重要な歴史的、革命的な意義を持っているのが、本論文です。言うまでもなくこの論文に於いて、アインシュタインは、「特殊相対性理論」を確立したのですが、これは、マイケルソン=モーリの実験結果のローレンツによる解釈を当時の学者達が考えた様に、不可解な実験結果にむりやり合理的説明を与えるための手段とは考えず、この解釈を素直に事実と受け容れたことの結果でした。
 つまり、運動系(慣性系)内部にあって、光速は一定の様に観測されるのではなく、常に光速は一定であり、従って、運動する物体は、現実に運動方向へ向かって縮むのです。従って、或る運動系内の運動と、他の運動系内の運動を比較できる様な基準点はなく、静止エーテルで満たされたニュートンの絶対空間は存在しないのです。
 それでは、この別々の運動系を統一している(もしくは含んでいる)枠組は何なのでしょうか。アインシュタインによれば、それが時間と空間が一体となった四次元時空連続体なのです。彼はこの事を本論文で、等速直線運動をしている運動系に関して確立し、空間(物体の大きさ)や時間は、系が異なるとそれらも異なる相対量にしかすぎない事を証明したのでした。光の速度のみが、だから宇宙に於ける絶対量、あるいは定数として不変のものなのです。こうして彼はニュートン物理学の絶対空間、絶対時間の宇宙を否定したのでした。そうして彼は、ローレンツ変換方程式に時間座標を導入して、等速運動をする2つの運動系間の空間・時間座標の変換式を提示していますが、この式の中で、等速運動の速さが、光速に比べて極めて小さい場合は、このローレンツ変換は、古典的なニュートン空間内での運動系の座標転換式、ガリレオの考えたガリレオ転換に近似できる事を示しています。従って、我々の地球上の日常世界では、ニュートン力学で間に合うことになります。こうしてアインシュタインは、ニュートン力学がその特殊解として含まれる宇宙全体についての包括的な理論を創造したのでした。