水雷戦および海中爆破
1810年
ロバート・フルトン(1765-1815)
 土木技術者であり、発明家であり、また芸術家でもあったフルトンは、早くも1797年には、フランスで地雷や水雷の実験を行い、また潜水艦の発明の研究を行っていました。彼は艦艇による海上封鎖というものを終らせ、海上の自由を保証する事になるであろう新しい強力な兵器を企図したのでした。その後、蒸気機関の動力で船を動かすことを考え、セーヌ川で外輪蒸気船の実験を行いましたが失敗し、1806年アメリカへ帰ってからまたその計画を再開し、1807年にようやく最初の外輪蒸気船をつくることに成功し、海上輸送の革命に端緒をつけたのです。
 彼はまた戦争(1812年)が近い事を見てとり、再び水雷戦技術の提案を本書に於いて発表提案したのです。けれども彼はフランス政府、イギリス政府、またアメリカ海軍及びアメリカ議会に対して、水雷戦の有効性について説得するのには失敗しました。フルトンのアイデアが発展させられて、自力で推進し操舵する魚雷が海戦や海軍戦略及び戦術を革命的に変えてしまったのは、彼の没後 100年も経ってからのことだったのです。