天体力学
1798年
ピエール=シモン・ラプラス(1749-1827)
 小さい田舎地主の家の出であるラプラスは、なかなか保身の術にたけ、要領よく立ちまわる男だった様です。才能にもめぐまれ、カーン大学を卒業後、当時の有名な指導的科学者だったダランベールに数学の論文を送り、それに感銘を受けたダランベールの推薦で、若くしてパリの軍事大学の数学教授になりました。数学に興味を持ち、優れた数学者達を厚遇する事を楽しみとしていた皇帝ナポレオンは、一時期、ラプラスを内務大臣に用いたほか、長期にわたって元老院議員、宮廷顧問官とし、伯爵に任じましたが、1814年の王政復古によってブルボン王朝が返り咲いた際にも、ラプラスはうまく立ちまわって、他の多くの人々がその地位を失ったにもかかわらず、引き続き重用され、ルイ18世によって侯爵に列せられました。政治的に無節操なオポチュニストであるとの批判が当時からあったのです。
 けれども、その科学上の業績は偉大で、はじめラヴォアジェと共に物質の比熱の研究をし、化合物が元素に分解する時に必要な熱は、その元素から化合物が生成する時に出る熱に等しい、という熱化学の創始といえる業績を共同であげましたが、その後ラプラスは、天文学、特に太陽系の研究に興味を持つ様になりました。既にニュートンが天体運動を支配する法則を発見していましたが、実際の天体観測では、惑星の軌道運行に不規則運動つまり摂動があり、これが徐々に進行L、蓄積するので、究極的には太陽系の規則的運行は破壊されることになります。ニュートンはこれに対しては、神がそれを正してくれる筈であると述べているのみでした。
 ラプラスは当時並行して研究していた確率論をこれに応用し、(彼の確率論は「確率の解析的理論」として 1812-1820年に出版されています。彼は近代確率論を創始したのです。) 或る惑星の運動不規則性(惑星の運動中心の軌道中心からのズレ、離心率で与えられる)が増加すれば、他の惑星のそれは減少するのであり、長期的に、かつ全体的に見て、不規則性は進行し、累積して行くのではなくて、変動は周期的に生じている事を明らかにし、確率論的に太陽系の安定性を立証したのでした。この研究を本書にまとめて出版したのですが、本書を手にしたナポレオンが「どこにも神の御名がない様だが?」とたずねた時、ラプラスは昴然と「陛下、私は神という様な仮説は必要としないのです」と答えたという話が伝わっています。
 この本は天文学ばかりでなく、後の数理物理学の展開にも非常に大きな寄与を与えました。
 というのは、彼はこの研究の為に必要な数学を発展させねばならなかったのですが、その過程で、いわゆるラプラス方程式という偏微分方程式を考察し、二個ないし三個の未知数を持つ偏微分方程式を一個の未知数の方程式に置き換えるという、いわゆるラプラス変換に途を開いたのでした。これは運動を扱うあらゆる問題に有益なものであり、これが存在しなければ、電気磁気学や流体力学などはその入口で止まり、それから奥へは発展しなかったでしょう。
 また本書に前に(1796年)、もっと解り易い一般向けの天文学入門書「世界体系の解説」を出版していますが、その中で有名な星雲説という宇宙発生説を述べています。つまり、宇宙のちりが集まり星雲になり、更にそれが集まって星が誕生する、という説です。ラプラスは知りませんでしたが、これはドイツの大哲学者カントが既に着想していたので、現在ではカント=ラプラス星雲説と呼ばれています。いずれにせよ、これは着想以上には出なかったのですが、ジーンズが現代になってその可能性を見出したので、再評価されることになったのです。
 ラプラスはフランスのニュートンと呼ばれ、名声と富を得て亡くなりましたが、「我々の知っている事は少なく、知らないことは無限である」という臨終の言葉をあらかじめ作り、練習をしておき、死ぬ時にそれを言って死んだということで判る様に、天才と俗物とが、また抜け目のない打算と親切(彼は若い新進の学者には非常にやさしく親切でした)とがないまぜになった、極めて人間的な矛盾に満ちた人だったのです。