化学要論
1789年
アントワヌ・ローラン・ラヴォアジェ(1743-1794)
 ラヴォアジェは、彼以前にボイルによって始められた化学という学問を、あらゆる観点から発展させた人です。ブラック、プリーストリー、キャヴェンディシュのような先駆者によってなされた重要な研究成果のほとんどについて検討を加えるとともに、更に正確な実験を行いました。いろいろな化合物の重量を、天秤でわずかの違いも見のがさないように測定し、その重量の差から多数の重要な結論を導きました。
 この実験の一つに、スズと鉛を密閉容器中で燃焼させ、生じた金属の灰の重量はもとのものより増し、一方、空気の重量は減ることを見つけたものがあります。この場合、容器全体の重量は少しも変化しないで一定でした。プリーストリーは当時すでに、その中では可燃性物質がはげしく燃える気体を発見していて、その気体に「脱フロギストン空気」と名付けていました。これは燃焼とは「フロギストン(燃素)が物質から逃げ出すことである」というフロギストン説に基づいたものでした。
 ラヴォアジェは金属の灰の重量が元の金属より増加することから、空気中に存在するある種の気体が金属と結合するのであるとの確信を抱き、多くの実験によってこの事実を確かめ、その気体を「酸素」と名付けました。燃焼のあとにも残っている空気に対しては「アゾート」(窒素)と呼びました。こうして、ラヴォアジェはフロギストン説を完全に打破したのであり、またその過程で化学の定量的方法を導入しそれを確立したのです。
 ラヴォアジェはこれらの実験結果を正確に求めたにとどまらず、一つの理論体系を作り出したのでした。ラヴォアジェの観察したところによると、いかなる化学反応においても物質の全重量は反応の前後で変化しない、というのです。すなわち、化学変化は物質不変の法則ならびに質量保存の法則に従うということを確かめたのであり、物理学においてニュートンがすでに認めていたことを化学において確かめたのでした。ラヴォアジェはいろいろな化合物を分解して実験し物質の元素を研究しました。そして今までごちゃごちゃとしていた多くの化学現象は、元素の結合の法則によって整理できることを明らかにしたのです。彼はまた、ベルトレおよびフールクロアと共同して化学物質の命名法の原則を提案しました。これは、化合物はその成分元素に準拠して命名すべきであるというもので、この原則は今日でも用いられています。
 本書において、ラヴォアジェはこれらの事項を手際よくまとめ、彼の化学の理論を体系化して述べています。この「化学要論」は近代化学の最初の組織立った教科書となったのでした。
 本書は彼自身の著作のうちで卓越しているばかりでなく、それが決定的な影響を与えた点で、化学の歴史のうちで最も重要な書物の一つといえます。ラヴォアジェが「近代化学の父」と仰がれるのはその理論体系に対する貢献と、化学の世界に革命を引き起こしたことによるものでした。しかし、ラヴォアジェ自身は「フランス革命」のやり過ぎのため断頭台の露と消えました。フランス革命の恐怖政治は「共和国に科学者はいらぬ」と告示したのでした。