広く定義された電気学の主張に関する実験と観察,及びその解釈
1769年
ジョヴァンニ・バティスタ・ベッカリーア(1716-1781)
 ベッカリーアは、16才の時にローマンカソリックの学校教員養成のための一種の修道会、ピアリスト会に入り、ローマやナルーニで学び、1732年から教員としてのキャリアを始めました。1748年にトリノ大学の物理学教授になったのですが、彼の前任者だったミニム派修道士は、デカルト主義者で、学内に多数の支持者を持っていました。ベッカリーアはイギリス、アメリカ等英語圏の科学に興味を持っていたのですが、これはフランス語圏の科学を重視するデカルト主義者達にとっては気に食わないことであった上、ピアリスト会とミニム派の宗教上の党派争いもからんで、彼は紛争の前面へ押し出されたのです。ベッカリーアは能力もあり、自信もある男だったので、攻撃を受けて立ったのですが、これが彼の電気研究の切っ掛けとなったのでした。すなわち、彼の推薦者の一人であったモロッツォが、フランクリンの雷の実験の事を知って、この電気の研究が、デカルト主義者に対する有力な武器になり得ると言って彼に進めたのです。
 電気の分野はまだ未踏の分野であり、また、デカルトの渦動宇宙論では電気現象はうまく説明出来ていなかったので、彼は魅力を感じ、電気を研究する事に決めたのでした。彼は熱心に研究し、早くも1753年に最初の著作「人工的電気と自然的電気」を出版します。この中で彼はフランクリンの実験の追試を様々に形を変えて行い、陽電気と陰電気の放電の仕方を区別して、電気理論の論理的構成に貢献した他、電気現象を気象学的、地球物理学的現象と関連させ、これを「自然的電気」と呼んだのです。彼はまた、電気温度計も発明しています。
 この本はフランクリンの賞賛を受け、一部がフランス語に訳されて出版されたので、ベッカリーアは一時、電気研究の第一人者と見なされたのでした。次いで1758年に、彼の伝記作者あてた16通の手紙の形をとって「ベッカリ氏への手紙」と題する電気研究の二冊目を出版します。
 この本の最初の6通の手紙の分が、人工的電気の研究で、フランクリン理論を拡張し、ガラス以外の絶縁体を用いて、二枚の絶縁板を組合わせたコンデンサーを造り、それに溜まる電気量の計測を試みています。また、真空ポンプを用いて真空をつくり、その中での相互に引き合う電気の力学的な力の測定を試み、これを帯電体から放出される電気物質によって置換された空気の作用に帰し、機械的な説明を試みていますが、成功しませんでした。この本の残りの 2/3は空中の自然的電気研究にあてられており、凧や打上花火を使って大気低層の帯電を調べ、雲の形成について、多量の観察を述べています。これ等の諸実験や観察をもっと組織立った形で体系化し、彼の電気理論を論証しようとしたのが本書です。この本はヴォルタに影響を与え、ヴォルタが彼の電堆-最初の電池-を発明する事へと導いたのでした。