空気の弾性とその効果とに関する物理ー力学的な新実験
1660年
ロバート・ボイル(1627-1691)
 1640年代後期から1650年代の初頭までの間に、ドイツの科学者でマグデブルグの市長でもあったオットー・フォン・ゲーリケは、容器中に高真空を作り出すことができる排気ポンプを開発しました。このポンプで得られる真空を用いて、彼は有名な「マグデブルグの半球」の実験を行ったのです。この実験によって、ゲーリケは容器の中から空気を排出すると、大気それ自身の重さによって大きな力が加わって来ることを証明したのです。ゲーリケが1672年にこのポンプの発明と実験の結果を自身の手で書物にするのに先立って、1657年にジェズイットの修道士カスパー・ショットが、その著書「水圧と気圧の力学」にゲーリケの真空ポンプのことを書いたのでした。
 ボイルはこのショットの書いたゲーリケの発明と実験についての文章を読んで刺激され、すぐさまゲーリケのポンプの改良に着手し、助手であったロバート・フックの大きな助けをかりて完成にこぎつけました。
 この新しいポンプを用いて、ボイルは真空の性質、たとえば、真空中では物が燃えないことや音が伝わらないことなどゲーリケの実験を追試し、つづいてトリチェリの気圧計の実験を真空中で試み、大気の重さは高さ29インチの銀柱に相当する事を確証しました。また、真空中ではどんな形状のものであれ、同時に落下することも確かめたのです。
 真空ポンプの使用によって様々な現象を経験した結果、ボイルはさらに空気の物理的性質の研究へと進んでいきました。彼は空気の弾性について述べ、これに「空気のばね」という定義を与え、さらに空気の容積と圧力との相互関係を研究しました。ボイルは空気の弾性は、空気の粒子と粒子との間の距離がふえたり、減ったりすることによって生じるものと考えました。
このような物質を粒子との間の距離と考えるという、古代の原子論をある意味で復活することによって近代科学の基本理念ができ上ったのです。
 本書はボイルの科学に関する処女作であって、上に記した諸発見を精細に記述していて、出版と同時に大きな反響を呼びました。二年後に第二版が出版されましたが、これには初版に対してよせられたフランシス・ライナスやトーマス・ホッブスの反論に対して、ボイルは自らの学説の正当さを主張する文章を加えています。その加筆部分で空気の弾性を初めて定量的に論じ、密閉系にあっては空気の体積と圧力とは反比例する事を実証しています。現在「ボイルの法則」として知られているこの原理は、運動の法則に次いで定式化された自然法則であったのです。