つり合いの原理
1586年
シモン・ステヴィン(1548-1620)
 ステヴィンの若い頃の経歴は良く判っていませんが、1581年ライデンに居を定めてから、極めて広範な科学技術の分野で活躍し、16世紀北ヨーロッパ最大の科学者のひとりに数えられています。彼の研究した分野は数学、力学、天文学、航海術、軍事技術、機械技術、音楽理論、土木技術、弁証法、簿記、地理学、建築学など極めて多岐にわたっていますが、どの研究に於いても系統的、論理的で明快な分析に特徴があります。ただ、彼は総ての著作を当時の学術共通語であったラテン語ではなく、母国語であるオランダ語で書いたので、その業績はヨーロッパ全体に広まるという訳にはいかず、地方的なものにとどまったのは残念な事でした。もし、ラテン語で書いていれば、その後のヨーロッパ科学技術の発展に決定的な影響を及ぼしたと考えられます。もちろん、彼は新しい時代のためには、母国語で科学研究をすべきだと考えてそうしたのであって、例えば、ルターのドイツ語訳聖書の出版や、デューラーのドイツ語での著書執筆等と同じ意図に基づいているのです。実際、彼の仕事によってオランダ語は科学技術研究に耐え得る言語になったと言われています。
 彼は例えば数学の分野では十進法の確立、二次、三次、四次方程式のより簡単な解法等の重要な業績をあげ、機械技術ではウォーム・ギアを使用したより効率の良い風車を考案し、干拓地の排水に風車を利用する場合に要求される揚水量を算定し、それに見合う風車の設計・製作を行っています。(これは低地のオランダでは重要な技術です)。このように彼の研究は、(他の分野においても)常に実用と結びついた独創的なものでした。数多い彼の業績の中でもとりわけ重要なものが力学の研究で、彼はいわゆる「斜面の法則」として知られる力のつり合い、力の三角形の法則を、ガリレオがそれを独立して再発見する50年以上も前に発見し、それを初めて本書において公表したのです。
 ここでも彼の証明は独創的で、まず長さが1:2の2つの斜辺を持つ三角形を考え、その上に14個の玉から成る輪になったじゅずを掛けます。この場合、短い斜辺(長さL1)に2個(重さG1)、長い方の斜面(L2)に4個(G2)玉がのる様にします。残りの8個は三角形の下に垂れ下がります。玉と斜面の摩擦はないものとします。当然、じゅずは静止していますから、全体はつり合っている事になります。ところで、三角形の下に下がった8個の玉は、左右対称に4個づつ下がっているのですから、この部分のみでも釣り合っています。従って、この部分を取り去っても残りの部分(長い斜辺の上の4個と短い斜面の上の2個の玉)はつり合っています。すなわち、L1:L2=G1:G2 。
 こうしてステヴィンは斜面の法則を見出し、これを拡張する事によって(力の三角形または力の平行四辺形)あらゆる固体のつり合いは完全に計算出来る事となったのです。彼はこの発見を非常に喜んで満足し、この三角形とじゅずの図を彼自身のシールとして、手紙の封印や彼の製作した器械の刻印に用いています。本書の扉にもこの図が描かれており、その下にはオランダ語で「不思議と見えるものも(調べれば)不思議ではない」と記しています。これこそ近代的科学精神と言えるでしょう。