ボエティウス「算術」
1488年
アニキウス・マンリウス・セウェリヌス・ボエティウス(c. 480-524)
 ボエティウスはローマ帝国の貴族ですが、ローマ帝国を滅ぼした東ゴート王テオドリクスと親交を結び、ラヴェンナの王の宮廷で要職に用いられていました。ところが44才のとき大臣たちのそねみを受けて、反逆のぬれぎぬをきせられて投獄され処刑されて短い生涯を終えました。ボエティウスはギリシア語を解する最後のローマ人であったといわれ、科学史家サートンによれば、彼は「最後のローマの哲学者・著作家であり最初のスコラ哲学者」であったのです。  ボエティウスは、幾何学、算術、天文学それに音楽に関するいくつかの基礎的な書物を書きましたが、それらはエウクレイデス、ニコマコス、プトレマイオス等の著作に基づいたものでした。これらの著作はしばしば不完全で、あいまいなところが多かったのですが、それ等は後世においてヨーロッパがギリシア科学の重要な成果を知る唯一の手掛かりとなったのでした。
 彼はプラトンとアリストテレスの全著作をラテン語に翻訳しようという大望を抱いたのですが、それは実現できませんでした。ただ、アリストテレスの論理学に関する著作のいくつかは翻訳を完了することができました。このボエティウスによるアリストテレス論文のラテン語訳が、中世におけるアリストテレス派の思想の唯一の源泉となったのでした。
 本書は、ボエティウスの「算術・アリトメティカ」の初版本ですが、この書物は中世の全期間にわたって、修道院の学校、すなわち後の大学にあって標準的な教科書として用いられたのです。ボエティウスは紀元 100年頃に活躍したギリシアの数学者ニコマコスの著書をもとに本書を著しましたが、この中で実用的な計算法とは明確に異なる数の理論、比例理論、三角数、四角数、五角数また立方数といったピタゴラスの図形数などについて論じ、またニコマコスの案に従って数学を四つの部門、即ち、算術、音楽、幾何学、天文学に分類し、これらの四部門を「四科・クアドリウム」と呼んでいます。「クアドリウム」という語及びこの区分は中世に於いて永くかつ広く用いられました。