ご紹介ありがとうございます。私は「ヒト=暴走した動物」というテーマでお話をさせていただきたいと思います。最初にいただいたお題は「ヒトは動物に還元できる、か」でした。それを見たときに、なんてヘンなお題なんだと思ったわけです。動物のほうがヒトより大きなカテゴリーですし、「還元」という言葉もヘンですし。そして専門上どうしても、「カラスやゴキブリは動物に還元できる、か」という問いを発するのか、という疑問を抱いてしまうわけです。当然、カラスやゴキブリは動物です。このお題はもちろん、ヒトならではの特異性があるからだということもわかっています。しかしカラスにだってゴキブリにだって、実はとんでもない特徴があるのです。
ですから、動物の特徴を考えるときに、私は共通性と特異性の両面から考えるべきだと思っていまして、それぞれの動物がそれぞれに進化を遂げて、それぞれの特異性を獲得したという考え方をします。では、ヒトはどういう特別な生き物なのか、という問いに答えようとすること、それを研究しているのが、私たち人類学者です。
もう一つ、このお題に違和感を持ったのは、「ヒト」という言葉に対する定義がわからないという点です。人類学者としてはその言葉の定義にこだわりがあります。私たちが言う場合の、人類とヒトとホモ・サピエンスと現代に生きている人間は、全然違う生き物なんですね。ちなみに人類は700万年の歴史がありますし、ヒト属は250万年、ホモ・サピエンスになりますと20万年、そして今生きている人間は、初期のホモ・サピエンスとはまったく違う行動様態を歴史の途中で獲得しています。もちろん、この会場にも昭和世代の人と平成世代の人がいらっしゃって、その2つの世代の間にも、全然違う生き物と考えてもいいような変化が生じている部分もあるんです。ただ便宜上、ここではヒトを、今生きている人間の集合体として考えることにいたします。
そうしたときに、ヒトの特異性はどこにあるかというと、人類学では「暴走している」という特徴がある、と考えるのが一般的です。但し、これからお話しする内容が、今、生きている人たち個人個人すべてに当てはまるわけではありません。人類学というのは全人類の個人間のばらつきを語るような科学ではなくて、人の特徴の傾向を分析するのが人類学であるというところを、ご了解ください。ですから、これから私がするお話は、現在生きている人間総体の傾向性についてのお話です。
私は今、「ヒトは暴走している」と言いましたが、生物全体ではどうだろうというと、暴走の制御メカニズムというものが存在しています。これは資源が有限であるとか、それぞれの歴史、そして共進化、つまり生物は他の生物と手に手を取って生きていること、に起因する原則制限です。そのシンボリックな例が、『鏡の国のアリス』で描かれたアリスと赤の女王です。二人は手に手を取って一生懸命走るんですが、気づくと元のところにいる。その場に留まるために、全力で走り続けなければならないという状況です。これが生物の性なんですね。生物は他の生物といろいろな関わりを持ち、影響を受け、また与えながら生きています。ですから自然界には、自分だけが突出して別の方向に走り出せないという制御メカニズムが備わっているわけです。それは身体の内部についても同様なことが言えて、どこか一部の形質だけが進化を遂げて特殊な形質を持つことも難しいわけです。
ですが、自然界には突拍子もないデザインをもった生物がたくさん存在しています。たとえば、クジャクのオスの非常に華美な尾羽は、クジャクの身体の中での暴走と考えることが出来ます。人間から見ればとても美しいものですが、彼らにとっては敵から逃げるときに邪魔になるようなものでもあるわけです。ではなぜそんな暴走が起きたかというと、学説によれば、それはメスの好みが反映されたからということになります。自然界では、オス同士の競争やメスの好みによって暴走してしまった形質がいろいろと見られるわけです。そのもう一つの例がオオツノジカです。
彼らは体に比べてとても立派な角を獲得したわけですが、結局は生存していくのに邪魔になって1万年前に絶滅してしまいました。同じようにサーベルタイガーもまた、長大な牙を獲得したわけですが、やはり絶滅に追い込まれてしまったわけです。このように過去において、暴走してしまったのではと思われる形質を持ってしまった動物たちは、往々にして絶滅するという結末をたどっているわけです。
暴走する身体、暴走する文化。
ではヒトの場合はどうでしょう。たとえばガウディのサグラダ・ファミリアは、2256年完成予定で今もなお作り続けられていますが、これもかなり複雑で華美で、上へ上へと伸びていった建築物です。ヒトには身体の暴走だけでなく、このような文化的な暴走もあるというのが、進化人類学的な考え方です。
ここではっきりさせなければならないのは、「文化」の定義です。進化人類学においては、文化はヒト特有のものではなく、動物も持っているものであり、社会学習によって獲得・伝播される情報と定義しています。では、ヒトと動物における文化の違いは何かと言えば、ヒトの文化には蓄積性があり後戻りしないラチェット的な傾向があるということです。そして多様化も非常に激しいものがありますし、中には一定方向に社会的に暴走した形、つまりより速い車やより高い建物などが見られます。
このような暴走は道具に多く見られますが、その原因は必要性ではないと考えられています。ちなみにエジソンはいろいろな道具を発明したわけですが、エジソン自身が、「その理由は、制作者や使用者の満足度の問題に尽きる」と言っています。要するに、道具という文化の暴走は、ヒトの心の暴走を伴っているということです。
ここで文化と人口増加の歴史を見てみましょう。このグラフの右端の急激な上昇曲線は、産業革命後の人口増加がいかに加速度的な暴走であるかを一目瞭然に物語っています。それによってますます特異な人間圏というものができ、ヒト以外の生命体をサービスの提供者のように使うようになったわけです。このようにしてヒトは死ななくなったわけですが、歴史的に見ればそれは最近のことなんですね。昔は新生児の死亡率は他の動物同様に高かったし、寿命もこれほど長くはありませんでした。またどのように生きるかという部分でも暴走が起きていて、子育てに対して多額の投資をするようになっていますし、しかも男女の産み分けを操作するようなことも始まっているわけです。但し、鳥などでも子供の性別を母親が操作しているかのような現象は見られます。
次に、心と身体の暴走について。この女性はかなり大きくなってしまっていますね。
肥満というのは暴走する身体のシンボリックな形だと考えています。ヒトの身体は、進化的な歴史を考えると、足りない食物の中でどうやって生き抜くかというシステムを作ってきたわけです。ですから、食物が有り余った環境の中で生きていくという制御システムができてないんですね。ちなみにヒトだけではなく、動物園のサルもヒトが暴走させてしまったりしてします。
では肥満化したらどうするかというとダイエット食品を食べるわけですが、ダイエット食品を食べるとまたさらに太ってしまうんですね。最近わかったことですが、胃の中に味のセンサーの遺伝子があって、舌は瞞せても胃の中までは瞞せないというシステムになっているからです。そして高カロリー食品を摂取することで、性成熟が早まってしまうような暴走も起きています。進化から見ると、ヒトはゆっくり成長するスタイルを長い時間をかけて定着させてきたのに、性成熟の暴走が起きてしまいかなり困った状況が生まれています。
また性行動の暴走たるや、レイプやマスターベーションなどを考えれば、他の動物はヒトをどのように見ているだろうというほどの状況になっています。ヒトのオスメスの関係は、脳が大きくなった子供を育てやすいように、絆が強くなるように進化してきたわけですが、その結果、ストーカーが現れたり、恋人を殺してしまったりするものが現れています。
その一方では、内集団と外集団の考え方が肥大することで、動植物にまで「〜〜ちゃん」と呼びかけたり、仮想物を自らの内集団だと思ってしまったりということも起きています。先ほどイントロでお話の出た思想や宗教といったものも肥大した状況になっています。また経済では、実態のないものに投資するというような、一昔前にはまったく考えられなかったようなことも起きています。
ところでヒトの脳では、依存性のあるさまざまな化学物質が分泌されていて、それがヒト独特の共感、信頼、恋愛や支配行動での暴走を促進させているということです。ただその一つであるドーパミンという物質は、遅れて報酬を受け取ることに関わっていると言われていて、これがあるから私たちは、報酬がすぐにもらえない状況でも「なんとかなるさ」「明日があるさ」「来世があるさ」という楽観主義で、生きていくことが出来るわけです。
ここで、暴走を大きく2タイプに分けてみます。
1つ目は現代と過去との間で大きく変化してしまった環境によって説明できると考えられるもの。ヒトが生きるために環境をよくしたら、起こってしまったもの。たとえば肥満だったりアレルギーだったりします。タイプ2はもしかすると異次元に突入してしまったというようなもの。たとえば言語や文化蓄積に使われる認知機能などがそうですね。
では可能な暴走と不可能な暴走を考えてみると、医療技術の改良や芸術といったものは、これから先も暴走していくことができるでしょう。でも、病気の征圧など暴走したとしても解決できないものというのもあるわけです。そう考えると悲観的な気持ちになりますが、ただここで唯一の砦は「希望はあるさ」と信じられる心の暴走のように思います。ですから私のレクチャーの結論は、「ヒト=暴走&進化的遺産に影響を受け続ける動物」であるということです。ありがとうございました。
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