下條 佐藤先生をご紹介します。佐藤先生は世界的な宇宙論の権威です。インフレーションセオリーという宇宙論を展開して注目され、量子力学の専門家にも近いお立場です。日本の科学への貢献も大きく、紫綬褒章はじめ多くの受賞歴もお持ちの大変な先生ですが、宇宙論におけるパラレルワールドを素人にもわかるようにお話くださいとお願いをしたところ、すぐに趣旨を理解していただき即答でOKしていただきました。佐藤先生、よろしくお願いします。
佐藤 こんにちは、佐藤です。私の専門は宇宙論という分野でして、私たちはパラレルワールドという言葉はあまり使いません。しかし宇宙は無限にあるのではないかということは最近、宇宙論の学界で驚くほど言われるようになりました。それをマルチヴァースと言います。最初にまず、現代の宇宙論の学問的背景をお話しし、次になぜ私たちがマルチヴァースという考え方をするようになったのかをご説明したいと思います。
宇宙誕生のパラダイムと宇宙の多重発生
まず宇宙論の学問的背景から始めましょう。これは物理学者の奢りかもしれませんが、アインシュタインの相対性理論ができてから約100年。この間にわれわれは、宇宙の誕生から知的生命体である人類が活動している現在の地球に至るまでの約137億年の物語をほぼ大筋では理解したのではないかと考えています。
それを図で示したのがこちらのスライドです【スライド1】。下から上に向かって時間が進んでいます。一番下が宇宙の始まり、一番上が現在の宇宙です。宇宙の誕生というのは、まず何かもやもやとした状態から小さな宇宙が生まれ、それが急激に拡大するインフレーションを起こし、そして現代の宇宙へとつながっていくという形になります。
宇宙の誕生のもやもやした状態というのは、時間も空間も物質エネルギーもない無の状態を表しているつもりです。しかし、無の状態といえども、揺らいでいるということなんです。つまり、存在と非在の間を揺れ動いているような、けれども、最も少ない状態で存在するような状態を無と呼んでいるわけです。そういう無の状態から量子力学の原理に従って宇宙が生まれてきます。その宇宙がインフレーションによって急激に膨張して、火の玉の宇宙になります。これはあたかも無からエネルギーを生むようなメカニズムになっていますが、もちろんわれわれの物理学はエネルギー保存の法則に従っています。同時に、インフレーションは宇宙の構造のタネを創るメカニズムも持っています。銀河や銀河団、太陽、惑星、恒星といったものが生まれるためのタネです。それ以降は緩やかな膨張をする中で、次第に仕込まれたタネが成長していき、今日の豊かな世界が実現したということになっています。最近のさまざまな観測によって、現在が宇宙開闢から137億年であることもわかってきています。これが基本的に現代の物理学が描き出した宇宙の進化像です。
こういう話をいたしますと、それはまったく机上の理論ではないか、と思われる方が多くいらっしゃいます。そこで申しあげておきたいことは、今や137億年前からのシナリオが観測を通じて裏づけられる時代になっている、ということです。
こちらの図【スライド2】は、その観測的裏づけを表しています。扇の要には地球があり、左の座標軸に地球からの距離が書かれています。どんどん遠くを見ると、例えば何億光年のところにはグレイトウォールという構造があります。これを観測したならば、それは数億年前の宇宙を観測したことになるわけです。つまり、できるだけ遠くを観測すれば遠くの過去を見ることができるわけです。この原理に従えば、宇宙開闢の瞬間も観測可能ということになります。ただ現在の宇宙の観測は光や電波を使いますので、どうしても限界があります。ですので、われわれが現在観測可能な一番遠い過去は、宇宙開闢から30万年ぐらいのところです。それ以上前の世界は火の玉ですから、電波や光では不透明で見ることができません。それでも136億9970万年前の宇宙は観測することができるわけです。すでに30万年頃の写真も撮れています。その写真を調べてみると、電波の強弱が見つかりました。それはインフレーションの時に仕込まれたタネだと言われています。この凸凹がだんだん固まっていって、銀河や銀河団、恒星、惑星などを構成していったわけです。その細かな凸凹を解析することによって、宇宙の年齢が137億年 2億年と決まったわけです。しかもコンピュータの発達によって、さまざまなシミュレーションが可能になりました。人工衛星によって観測された宇宙の凸凹から固まって星になるまでをシミュレーションさえ可能になっています。
また、宇宙論だけでなく、地球物理学、生物学、人類学などと連携することによって、物質世界の進化である「宇宙誌」の中で、われわれ人間がどんな存在であるかも知ってきたと言えるかと思います。
マルチヴァースの考え方とそれを予言する科学理論
このように進歩してきた宇宙論は、宇宙は無数に創られると予言しています。最初に宇宙は無から創られるとお話ししました。無から創られるなら、宇宙は一つしか生まれないなどとは決して言えません。無の状態からはいくらでも宇宙は生まれるはずです。われわれの時空間とは関係のない別の時空間が生まれ、その中でもたくさん宇宙が生まれているはずです。しかしながら、無からの創生は、ミクロの世界の量子論と時空間を記述する相対性理論を合わせた量子重力理論が完成するまでは、まだ未完の予言です。でもこの理論、私はかなりのところまで進んできていると思っています。
そしてもう一つ。インフレーションですが、これは均質な膨張を遂げるとは限りません。場所によって膨張に歪みが生ずれば、そこで宇宙が分岐する現象が起きます。これも無限に宇宙が生まれることを予言しうるわけです。このインフレーションでの宇宙の創生は、相対性理論に基づいて予言される出来事です。もともとあった宇宙を母親の宇宙とすれば、宇宙の一部分が急激に膨張して、子どもの宇宙を創るということがわかります。母親の宇宙から見れば、それは何もないブラックホールにしか見えません。でもその中に入っていくとものすごく広い別の世界が広がっているわけです。そして子どもの宇宙でも同じようなことが起こり、孫宇宙が創られます。このようにして、インフレーションもまた無数の宇宙を創る可能性を持っているわけです。このようなことが明らかになり、最近では宇宙はユニヴァースではなくてマルチヴァースだと言われているわけです。
ただし、無からの創生やインフレーションで創られる無数の宇宙というのは、相互に因果関係を持つことはできないのです。もし因果関係を持てるなら、それは私たちの宇宙と同一のもの、続いている宇宙ということになってしまいます。ですから、定義からして無数にある宇宙同士は認識することも因果関係を持つこともできません。それはすなわち観測できないということです。このような理論を何十年か前に私は創り上げたわけですけれど、これは本当に科学の理論と言えるだろうか。たしかに相対性理論の予言ではありますが、科学はやはり観測で実証されることによって理論になるものです。しかしこの場合は観測できないわけですから、実証もできません。この理論を科学として認めるのか認めないのか、いろいろな立場があろうかと思います。
さて、マルチヴァースという考え方が出てきたのは、宇宙の創生論からだけではありません。素粒子の基本的な物理法則をすべて一つにまとめ上げる統一理論の研究が進んでいますが、その中で唯一の有力な理論と考えられている超ひも理論の中からも、マルチヴァースの考え方を予言しています。
その超ひも理論の中にブレーン宇宙論というものがあります。この世界に存在しているすべての力、電気の力や重力などいろいろありますが、これらは根源的には一つの原理に従って統一的に理解できるのではないかというのが、理論物理学の信念であります。それを考えるときに一見奇妙奇天烈にしか思えないような考えを使って、その理論が創られてきています。
超ひも理論は、陽子や電子やニュートリノといった素粒子が実はひもなのだというわけです。ただこのひも、われわれの三次元空間に存在するわけではありません。十次元もしくは十一次元という大きな時空間の中のひもです。この理論に従いますと、この世界はブレーンという膜の宇宙なのだということになります。そしてすべての物質粒子は、その膜にひもの両端を固定されているという考え方です。電子やクウォークといった粒子は、この膜の上を移動はできても逃げ出すことはできません。この膜は実は三次元の膜です。このような膜が、十次元の時空間に浮かんでいるわけです。そしてもちろん、この十次元時空間には他の膜が存在してもまったくおかしくはないのです。こんな奇想天外な話ですが、実はこの膜理論の一つには、ジュネーブ郊外にあるLHCという加速装置の中で、ブラックホールが観測されるかもしれないという予言もなされています。
ところで、三次元以上の空間は非常に複雑な空間だと考えられています。それをカラビ・ヤオ空間と呼ぶわけですが、極めて難解な空間です。その空間の中のいろいろなところに膜の宇宙があり、その膜宇宙は三次元に限らず四次元、五次元とさまざまなものがあります。しかも物理法則もそれぞれの宇宙で異なります。そう考えると、無限に近い宇宙が存在することになります。そして無限に近い宇宙があるという話は、曼陀羅によって表されている仏教の三千大千世界につながります。われわれの住む宇宙はどの宇宙なのか。また他にどのような宇宙があるのか。これを解明することが膜宇宙論の大きな課題かと思っております。
次に量子力学の描く多世界解釈でのマルチヴァースについてお話しします。この理論はミクロの世界を支配している法則です。みなさんの腕時計やパソコンの半導体の内部では量子力学に従って電子が運動しています。しかしこの理論は本当に常識では考えられないような理論の展開になっています。つまり、すべての粒子は波であり、しかも、伝播してくる波を観測すれば収縮して場所が決まりますが、それは確率的なんですね。観測ごとにその結果は変わってきますから、波としての確率的な予言しかできません。有名なシュレジンガーの猫の話があります。箱の中に猫と放射性物質を入れます。放射性物質は崩壊すると毒物質を発生させます。崩壊すると猫は死にますが、箱を外側から観察している人間にとっては生きているか死んでいるかわかりません。両方の状態が同じ確率で波として存在している。箱を開ければ、生きているかどうかわかります。つまり観測するまでは生きている状態と死んでる状態が重なっている状態だという妙な理論です。この理論をもう少し論理的に説明できるのが多世界解釈というものです。つまり猫が生きている世界と死んでいる世界、そこに両方の確率があれば、確率ごとに世界は分裂していくという立場です。下條先生が先ほどおっしゃったタイムマシンの例も、この理論に当てはまるわけです。量子力学の描く世界では、このように宇宙は無限に分岐しているというものです。これも、証明できるかという話とは無縁の原理ではあります。
以上が私のレクチャーになります。 |