イントロ:対論
[多元世界の射程]

タナカノリユキ
(アーティスト/アートディレクター/映像ディレクター)

下條信輔

(カリフォルニア工科大学教授、
 ERATO下條潜在脳機能プロジェクト研究総括 / 知覚心理学、認知脳科学、認知発達学)


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タナカ 本日はよくいらっしゃいました。こんにちは、タナカノリユキです。今年もよろしくお願いします。
下條 こんにちは、下條です。今年で13回目を迎えましたルネッサンス ジェネレーションです。またお目にかかった方、お久しぶりです。初めておいでの方、ようこそいらっしゃいました。今日のテーマは『パラレルワールド!』です。
タナカ 初めていらっしゃった方のために、ルネッサンス ジェネレーションのことをかいつまんでお話ししますと、アート、デザイン、サイエンス、テクノロジーといったさまざまなジャンルからゲストをお迎えして、現代社会におけるカッティングエッジな問題とリンクしながら、ディスカッションしたりパフォーマンスしたりということを試みてきたわけです。そして今年、なぜ『パラレルワールド!』なのか、なんですが、実は下條さんからの熱烈なオファーで実現したもので、僕の中ではまだ半信半疑な部分もあったりするんです(笑)。
これまでは比較的、社会的な問題とのリンクが色濃く出ていたんですが、今回は、量子物理学や脳科学の最前線だったりするわけです。そのあたりのことを、下條さんのほうからお話ししてもらいます。

パラレルワールドという言葉が含む、深く広い視点。

下條 私が多分、パラレルワールドという言葉に初めて出遭ったのは、小学生の高学年だったと思います。SFファンだったんですね。そのSFの本で出遭ったわけです。パラレルワールドでよくあるのは、タイムマシンに乗って過去へ行って、例えばお母さんを殺してしまったり、両親の出会いを妨げたらどうなるか。その瞬間、自分が消えてしまうのか、それはあまりに不合理だから、世界が枝分かれしてもう一つの別の世界に移行するのか、というような話です。それに近い話を挙げると、まず『バック・トゥ・ザ・フューチャー』。それ以外にも、今年は村上春樹さんの『1Q84』という大ベストセラーがあって、村上作品ではそれ以前の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』でもやはり、パラレルワールドの枠組みが使われていました。それ以外にも涼宮ハルヒシリーズや小松左京さんの傑作SF『戦争はなかった』、ウルトラセブン、仮面ライダー、宇宙戦艦ヤマト、クレヨンしんちゃん、ドラえもんなどなど、数え上げればきりがありません。あるいはゲームで言うと、RPGのマルチエンディング式ですとかリブートできるものは、ほとんど全部、パラレルワールドが何らかの形で使われていると考えていいと思います。
で、今回、いろいろ調べているときに気づいた面白いことがあって、ほとんどパラレルワールドと同じ意味のことが、全然別の学問世界でも言われているんですね。例えば物理学では宇宙論において多元宇宙ということが言われているし、量子力学では多元世界解釈ということが言われている。そしてどうやら、われわれがSFの世界で言っていたこととあまり変わらないことを言っているような気がする。そしてファンタジー文学の世界に至っては、『ハリー・ポッター』以降、パラレルワールドは物語の基本枠組みとして、当たり前になっている。ゲーム、インターネットの時代における、ファンタジーの基本枠組みとして捉えられているといっても言い過ぎではないのではないか。
そしてパラレルワールドは、哲学における自由とは何かという問題とも繋がっていると思っています。というのは、われわれが自由だと実感するのは他にも選択肢があって、でも敢えてこちらを選んだというケースです。他にもあったオプションを選んでいたらどうなっていたかというのは、ある意味パラレルワールドなわけです。
あともう一つ、面白いと思ったのは、危機管理のシミュレーションシステムにパラレルワールドというキーワードが出てくるんです。どういうことかと言うと、例えば、大地震が起きたとき、危機管理センターが状況を把握して最適な意志決定をしていくわけですが、地域によって情報の遅れが生じます。その遅れが生じる場合と生じない場合をさまざまにすべての可能性を並行してシミュレーションしておくという準備をするわけです。
ですから、物語の世界だけじゃなくて、物理のようなハードサイエンスの世界、哲学の世界、工学系の世界、いろんなところでパラレルワールドが出てきているんですね。
よく考えると、われわれがもっとも興味のある知覚の問題にもパラレルワールド的な視点が必要なのかもしれません。
タナカ ちょっと確認ですが、パラレルワールドというのは、同時に世界が存在するということなんですか?
下條 そうですね。例えばタイムマシンに乗って過去に遡り、自分の両親の出会いを妨げてしまったとします。その時に、自分がこれまで経験してきたように存在している世の中と、自分が存在しない、あるいは別の誰かが存在する世の中が同時並行的に存在することになりますよね。でも、人間は、自分という主観としては、そのうちの一つの世界でしか生きられない。列車が分岐点に差し掛かったとき、その列車はどちらか片方の線路にしか行けない、というような話に近い。ただし、量子力学の世界ではその両方に同時に確率的に存在しているということが信じられているようです。
それともう一つ、パラレルワールドがいつから存在するのかというのが興味深い問題なんです。例えば、クルマを買うことにしました。昨日、国産車と外国車を見比べて国産車を買いました。でも今日になって、外国車のほうがよかったんじゃないかと後悔しています。これはクルマを買った時点でパラレルワールドが分岐したのか、後悔した時点なのか、そうではなくて、最初から分岐するようにレールが敷かれていたのか、という問題です。
もうちょっと突っ込むと、パラレルワールドはアートのクリエイティヴィティとも関係しているような気がするんですが、そのあたりについては、タナカさんいかがですか?
タナカ イマジネーションやファンタジーというのは、ある種そういうことの産物かなと思いますね。
下條 あとコマーシャルなどの現場における意志決定という問題もある。
タナカ そうですね。どちらか一方を選択する場面はクリエイティヴにはよくありますから。あと最近思うんですが、もう一人の人格とかもう一人の自分といったものが、どんどん増えてきていると思うんですよ。コスプレというのは着替えることでもう一人の自分を創り出すし、ヴァーチャルの世界ではアバターのような仮想人格みたいなものが存在しています。現代社会では人間が複数の人格を持つようなことが当たり前のようになりつつあるというのも、パラレルワールドの一種なのかもしれない。そういう意味では、パラレルワールドをキーワードに、かなり大胆に現代社会や、それこそこれまでルネッサンス ジェネレーションで語ってきたようなことも切ってみることになりそうですね。
下條 そうですね。もともとのわれわれの認識や認知、知覚や記憶のあり方が、パラレルワールド的なものや反実仮想のようなものを要請しているんじゃないかと同時に、時代精神としてもあるのかもしれない。というのは、現代社会は、人間がいろんな社会集団に同時に属する仕組みになっているんですね。昔は人間は一つの小さな部族に属してそれで終わりだったと思うけれど、今では大学に属し、ローカルなコミュニティに属し、趣味のクラブに属し、そして家族に属するというね。それぞれに別々のアイデンティティがあるわけですから。そういえば、タナカさんと一緒にやった『100 ERIKAS』もアイデンティティの複数性、仮面の複数性みたいなことを表現したわけだから、そういう、人格のアイデンティティや人々の持つ異なる視点とか、そういう観点からパラレルワールドを考えることもできそうですね。
タナカ あともう一つ、自分たちが生きてきた時間というか、歴史の読み替えみたいなもの、価値観の読み替えみたいなものもあるんじゃないかなと思うんですね。今まで当たり前なこととしてやってきたことが、今になってあれはよくないことだったと言われたりね。それこそエコの問題なんかもそういう気がするし、われわれの価値観の地盤となっていた文化的、もしくは文明的な指標が変わってきている感じがある。
下條 今、すごく大切なことを言ってくれたんだけど、われわれが下調べや準備をしている段階で学んだことは、普通パラレルワールドというと、意志決定をした時点で道が二つ三つに分かれると。つまり、現在や未来の話だと思われがちだけれど、よく見ると過去もパラレルワールドじゃないかという問題意識がある。ファンタジーの世界で今、流行っているのは、人類の歴史やキリスト教の歴史といったものを書き換え、また現代のリアルな世界をも巻き込んでしまうような、壮大なパラレルワールドを創り出すことなんですね。
ふと気がつくと、ミョーに堅いイントロダクションになっちゃいましたが(笑)、例えばドラえもんなどを見ていても、違う宇宙にドラえもんとそっくりの人がいて、そっくりの生活をしているみたいなことがよく出てきます。こういうことは精神病理学的な妄想だけでなく、健常な人でもよく想像することだと思うんですね。その時に言っている「同じ」とか「違う」というのが、どういう意味なんだろうとわからなくなったりする。第一、存在する場所が違うわけですからね。そんなことも佐藤先生に説明してもらいたいと思っています。
あともう一つ、言っておかなければいけないのは、今日は隠し球のエンタテインメントを用意しています。ただしこれはうまくいくかどうかは五分五分のところがあるので、もしかすると今日のルネッサンス ジェネレーション自体もパラレルワールドを含んでいると言えるのかもしれません。では、さっそくレクチャーに移りたいと思います。


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