基本レクチャー
[ 情動:わが内なる動物 ]

廣中直行
(ERATO下條潜在脳機能プロジェクトグループリーダー / 神経生化学、精神薬理学、医学博士)


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こんにちは、廣中です。今日は「心と体の対話」が中心のお話になろうかと思います。まずはじめに、みなさんに不気味な体験をしてもらいます。(*1)目が顔の前に2つ並んでいるのは肉食動物です。みなさんの中に狼に襲われた経験のある人なんていないと思いますが、これを見ると、恐怖の感覚が生まれる。なぜそんな感情が生まれてくるかというと、人間が誕生した何百万年前から遺伝子の中に組み込まれてきたからですね。この目を縦に並べても大して怖くない。それは肉食動物の目を連想させないからです。

記憶と情動が司るもの

さて、今日は脊椎動物の神経についてお話しします。脊椎動物の特徴は、前へ進むということです。前に進むために必要なことは、身体の左右の筋肉を規則正しく収縮させることです。うなぎは蛇と同じようにクネクネと前に進みますが、ネズミの背骨も前に進むときは蛇の背骨とまったく同じ動きをします。おそらく人間の赤ちゃんも同じ動きをするはずです。とりあえず身体を前に進めることで、危ないものにぶつかったり餌にぶつかったりして、その度ごとに、行動を変化させてきたわけです。5億年前の魚の化石から奇跡的に見つかった脳の化石を調べてみると、基本的な部分は現在の魚の脳と変わりがないことがわかりました。それは5つの神経の塊で成り立っています。5つの塊は大雑把に図のような役割を果たしています。まず脊髄側の3つは何かを動かすことを司っています。延髄は呼吸のリズミカルな動き、小脳は左右を規則正しく動かすこと、手足の動きです、そして中脳は光に対して反応する反射です。それから先のほうの2つはともに、感覚を司っています。前に進むために一番必要なのは臭いです。そのため一番前の終脳は嗅覚を司っています。そして間脳は体の内外、つまりいろいろな感覚情報を中継する塊です。加えて身体の中の感覚、例えばお腹が空いたときに血糖値が下がるといったことも感覚として受け止める働きをしています。(*2)爬虫類になると、記憶・情動を司る神経系が被さってきます。記憶と情動は非常に関係が深く、極端に言えば同じものだと言ってもいいくらいです。ここで大事なことは、まず第1に、記憶と情動はきちんと身体を動かすためにある。つまり身体で表現できるということです。表現というのは、自分の行動を調節することと同時に、他者に対する信号でもあります。他の個体に対して何かを伝えるわけです。
ここからすこしの間、ビックリするということについて考えてみたいと思います。突然大きな音をかせるとネズミはビクッとします。それは人間でも同様です。人間の場合は、瞼が閉じようとするするんですね。それは意識でコントロールできるものではなく、無意識のうちに勝手に起こる反応です。目覚まし時計の音で起きる場合、人は音を聞いてから意志決定をして起きるわけじゃないんです。音が鳴ったなと脳が理解する前に人は起きているんです。その神経回路は、次のようなものです。まず耳から入った音は蝸牛核という神経の塊に伝えられ、そこから聴覚皮質に音が鳴ったという信号が送られるんですが、その一方で、蝸牛核から脳幹に降りていく別の神経経路があります。蝸牛核から橋網様体を通して脊髄に、「危ないことだから身を守れ」という信号を送る、同時に綱様体から「脳全体目覚めよ」という信号も出ます。この信号は意識的にコントロールできるものではありません。目覚まし時計で目が覚めるというのはこういう理由なんですね。
このような反応は、強い光を浴びたり空気を顔に吹き付けられた場合などにも起きます。写真を撮るときにフラッシュを焚くと目をつぶるというのも同じ反応です。当たり前のように思うかもしれませんが、驚くという反応は危険なものから身を守るための情動の一番根底にある神経機構と考えることができます。最近の研究では、ビックリして目をつぶるという反応はたった1個の遺伝子で調節されてるかもしれないという可能性も指摘されています。
驚くことは怖いに通じます。ここからは怖い話です。ネズミは明るいときのほうが暗い時よりも大きく驚きます。なぜか。このヒントはPTSDについての実験です。ベトナム帰還兵が悩まされたPTSDのための実験で、彼らは真っ暗闇を怖がることがわかったんですね。それならば夜行性の齧歯類は明るいときのほうが驚くだろうというわけです。この仕組みは次のようなことです。情動に深い関わりのある扁桃体や分界状床核から直に橋網様体に通じている神経経路があって、橋網様体が刺激されることで起こるわけです。(*3)
扁桃体の役割は、さまざまな情報を受け取り、また記憶の呼び出しをして、とりあえず身体の反応を起こすということです。山道で細長いものが見えたとき、縄かも知れないけれど、そんなことをゆっくり調べるよりとりあえず逃げたほうがいいですね。そのために扁桃体が働き、自動的に反応を起こすようになっています。(*4)つまり人間でも恐怖の場面で身体反応が出るわけです。

快の情動

次に愉しい情動についても考えてみましょう。脊椎動物はとりあえず前に進むと先ほど説明しました。前に進むとそこに餌があったり繁殖の相手がいたりします。これが報酬(リウォード)です。リウォードを求めるための神経も脳の中に作りつけられています。報酬に近づく神経経路は、怖い経路とカブル部分がある。報酬系は前脳にも情報を送る。(*5)それはなぜかというと、リウォードは今後大事かも知れないために、主に前のほうに向かって信号を送っていく可能性が考えられます。
そしてもう一つわかっていることは、快の情動というのも、実はまず身体反応なんだということ。なぜなら、生まれて数時間の赤ちゃんの口に甘い水を垂らすと、笑顔になる。笑顔という動作は、頬の筋肉を収縮させ、目が細くなり、口が横に開いて、舌が少し引っ込む、という動きです。それはもともと何かを受け入れるという顔なんですね。これが笑顔の起源。すなわち快の情動もまた、まずは身体反応であると言えるわけです。

脳と身体の間の信号

哺乳類、特に霊長類になると、認知・思考・意思を司る大きな新皮質が誕生しました。これは何のためなのか、つまり身体反応を起こす部位に対して、この高次の脳機能を司る部分はどういう関係にあるのかという問題です。身体の反応を司る部位から高次の脳機能を司る部位に対して、何らかの信号が送られているはずです。ダマジオは身体からの情報を受け取る場所として、前頭眼窩野が重要だと言っています。それがどういう信号でどのように受け止められているかはまだわかりません。ただ、身体が脳に送る情報は漠然とした曖昧な信号のようです。それを解釈するのは高次の脳のほうなんです。高次の脳のほうが、その場の状況に応じてある程度勝手にやっているようです。いずれにせよ、脳の中心部から認知系に対して送ってくる信号にはギャップがあり、直結してはいないであろうというのが、今の生理学の見方です。
逆に高次の脳機能から身体反応におりて行く経路について考えてみましょう。先ほど真っ暗にすると人は大きく驚くという話をしました。そこで私も研究室を真っ暗にして実験をやってみたのですが、誰も怖がらないんですね。それはなぜかというと、私が実験室に学生を呼んで実験をしたところで、学生は面白がりこそせよ、全然怖がってくれはしないわけです。それは、セッティングが大事ということです。それはつまり、ある状況の認知が身体反応に対してある種の調節をしているということです。状況次第と言えるでしょう。
その典型的な例が、薬のプラセボ効果。ホントは効果のないニセ薬なのだけれども、あるセッティングのもとで投与すると治療効果が出てくる。副作用が出るのはノセボと呼んでいます。このプラセボ効果がなぜ起こるかはこれからの研究を待たねばなりません。ただ当初は、本当の治療効果に関係のあるメカニズムが暗示によって反応してしまうのだろうと考えていたのですが、それほど簡単な関係ではないようです。鬱病の治療の場面における心理療法と薬物療法について調べてみます。すると臨床尺度で見ると、どちらも同程度の効果が得られているんです。ただ効く脳の部位は、まったく違う。心理療法の場合は、前頭葉の過剰な興奮を抑える効果があるようです。薬物の場合は、もっと低次の脳機能に働きかけているらしい。

人間の中の動物の部分

さて、身体反応の話と認知の話、これを心と体の対話と大きく括っていいモノかどうかは疑問もありますが、認識すべきことは、自分の中に動物の部分があって、何か身体反応、情動の表出が起こるときは、それをやめようとかコントロールしようとしてもできないということ。ただ、理性的な人間の部分もあるし、それを繋ぐインタフェイスもおそらく脳の中にたくさんあるでしょう。それらはお互いに連絡を取りつつもバラバラに働くことができるわけです。つまり、同じようなことをしている部分がたくさんあるわけです。それは脳の中にたくさんの自分がいるとも考えられます。私が一つの個体として見えるのは、みなさんが外側から見ているからそう思うのです。「私」というのはいくつかの機能するシステムの緩やかな複合体と考えられます。
ですから、人の心とか行動を考えるためには、従来にない新しいシステム理論のようなものが必要なのではないかと、私は今思っています。


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