レクチャー02
[ 自然界に「悪」は存在するか ]

中村美知夫
(京都大学大学院理学研究科助手 / 人類学・霊長類学)


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ここでは、私の専門であるチンパンジー社会を軸に、そこからヒトを見るという立場で話をしようと思います。
この「自然界に悪は存在するか?」という問いですが、実はこれにはイエスともノーとも言えます。自然界にヒトも含まれると考えれば、人間界に悪があるのだから自然界にも悪があることになりますし、「自然」を「生物学的」と捉えれば、問い自体が意味をなさなくなります。なぜなら生物学は現象を扱う学問で、価値判断をするわけではないからです。私の立場は、自然と文化、動物と人間というような二項対立は疑っていこうというものです。ですから、単純に動物側の立場でもありません。自然界には楽園的なイメージと血塗られた野蛮なイメージの2つがありますが、そのどちらとも与しません。なぜかといえば、この2つはともに、人間は特別だとした上で、動物を善か悪かのどちらかにおいているからです。

そもそも何が「悪」?

ここでは、何が悪かという問いの範囲をある程度絞り込んでおこうと思います。人間界では宗教でも法律でも、殺すことは悪とされていると思います。殺生が単純に命を奪うことだとすれば、食べるために屠殺することも悪だということになってしまいます。害虫を殺すことは? 木を切ることは?これらはすべて命を奪う行為に違いありません。そうなると「殺生=悪」とはとても言い難い、ということになります。(*1)
ではある種が同種を殺す場合ならば、悪と言えるのでしょうか。1960年ぐらいまでは、ヒト以外に同種の殺しはないと言われてきました。たとえばイヌなどは、ケンカをして勝負がつくと、負けたほうは尻尾を下げて退散します。当時、動物は争っても過剰にやりすぎない、という説明がなされていました。ところが1962年に杉山幸丸という研究者が、サルの一種であるハヌマンラングールの子殺しを発見しました。これは、行動が種の保存のためになされると考えていた動物行動学にとってはショッキングな発見で、当初は異常行動ではないかと思われていました。
それが70年代に入ると、社会生物学という考え方が導入され、子殺しについても説明がなされるようになります。どういうことかというと、ハヌマンラングールは1頭のオスと複数のメス、そして子供たちという群れを作ります。そこに、群れ以外のオスがたまに乗っ取りにやってきます。で、乗っ取りが成功すると、前のオスが遺した子供を殺すわけです。そこで何が起こるかというと、子供を殺されたメスが発情を再開します。ハヌマンラングールのメスは授乳をしているうちは発情しないんです。そうして、殺し屋のオスと交尾をして、新たな子供をもうけて、群れを形成するわけです。種の保存では説明がつかなかった子殺しですが、自分の子孫を遺すためということで説明されたわけです。その後の調査で、霊長類に限らず子殺しがあることが分かってきました。その傾向を調べてみると、妊娠期間に対する授乳期間が相対的に長い分類種で子殺しが見られるということが分かってきたわけです。この傾向は、授乳期間に妊娠しにくいことと関係があるといわれています。(*2)

チンパンジーの場合

そして、本題のチンパンジーの話です。皆さんがテレビなどでよく見るチンパンジーは3歳ぐらいの子供です。これが大人になると体重が30〜50kgぐらいになり、オスは非常にがっしりした体型になります。研究自体が40年くらいなので何歳まで生きるかは分かっていませんが、マハレでは40歳以上の個体がたくさんいます。私はタンザニアのマハレで調査していますが、長期調査地は他にも数カ所あります。(*3)
チンパンジーの集団社会というのは、複数のオスと複数のメス、そして子供たちによって構成されています。また、チンパンジーではオスが集団を出ることがないので、乗っ取りが起こるわけではありません。
ではチンパンジーの同種殺しにはどのような特徴があるのでしょうか。子殺しにカニバリズムを伴うことがある、成熟個体が殺されることがある、共同での殺しが多い、という3点です。子供を殺して食べるという行動は、人間で考えると大変猟奇的に聞こえます。チンパンジーは、アカコロブスという別種のサルを日常的に食べるのですが、この肉食との類似性が指摘されています。チンパンジーでは新生児が子殺しに遭う場合がほとんどで、カニバリズムの際の状況は普通の肉食の際の状況とよく似ているという報告があります。(*4)
長期調査地において、どれだけ子殺しが観察されているかを調べてみると、ほとんどの調査地で起きていることが分かりました。但し子殺しには集団間、集団内、メスによる子殺しなどがあり、集団によって、若干パターンが違っています。
チンパンジーは乱婚ですから、集団内の子殺しの場合は、自分が父親である可能性のある子供を殺していることになります。これを社会生物学的に、自分の遺伝子を遺すという観点から考えると、もっともばかげたことをやっていることになります。それには将来のライバルを減らすため、栄養のためなどといった説明が考えられていますが、今のところまだクリアには解明されていません。
もう一つのチンパンジーの特徴に、共同での同種殺しがあります。人間でいえば戦争です。複数の個体が手足を押さえ、一頭がノドをかみ切るというような、殺意をすら感じさせるような殺し方が多く報告されています。これは比較的集団間で起きることが多い。2つの集団が戦争状態にあったのだ、という解釈もなされています。チンパンジーの同種殺しは、頻度的に見ても異常現象では片づけられないと思います。(*5)
最後に、チンパンジーで「善」と呼べるような側面をいくつかご紹介しましょう。もっともよく言われているのは母子間の強い愛情。友情と呼べるような長い友好関係も見られます。他者への強い関心と許容。母親のいない子供の世話をしたり、他個体を慰めたり、食物の分配をしたりします。このようにチンパンジーには善と考えられる側面もたくさんあるのだということも合わせて考える必要があるでしょう。(*6)
人間の基準でいえば、どんな動物も善と悪を持っていると思います。その価値判断の基準は道徳になるかと思いますが、最近では霊長類も道徳的な価値判断をしているという議論もされ始めています。(*7)


対論:中村美知夫×タナカノリユキ

タナカ 非常に刺激的な写真とお話でした。これからいくつか質問を含めて、少しお話を伺わせてください。中村さんはチンパンジーの社会を、人間社会に反映させることを考えて研究しているのですか?
中村 私は理学研究科にいるのですが、人間の社会を知りたくて、その比較対象としてチンパンジーの社会を知りたい、というモチベーションです。
タナカ なるほど。次に、チンパンジーの子殺しは本能的なんですか?
中村 おそらく本能的ということはないだろうと思います。ではどんな判断でスイッチが入るのかというのは、正直、まだ分からない点です。
タナカ そうだとすると、チンパンジーの社会なり文化、ルールは存在すると?
中村 私はそう思っています。
タナカ では、人間である中村さんがチンパンジーの社会に入っていくと、文化的な違いを感じますか?
中村 たとえばチンパンジーは人前でセックスするなど、種が違いますからいろいろな違いは存在していると思います。ただ、理解できる部分も多々あって、私はむしろその理解できる部分をとっかかりにして理解していこうと考えています。
タナカ もし生まれた瞬間から別の社会で育つと同化できるんですかね?
中村 それは多分、ヒトがチンパンジー社会でもその逆の場合でも、難しいんじゃないかなぁ。ヒトであっても、チンパンジー社会での責任は取れないと思うんですよ。同じようにチンパンジーもヒト社会の責任は取れない。
タナカ では、チンパンジー社会でなら、責任能力はある?
中村 私はあると思います。ただ、人間とチンパンジーの関係において、人間の理屈を押しつけるのは無理だと思います。
タナカ 研究をしていて、人間社会の状況が逆に変だなと思ったりは?
中村 いや、さすがにそこまでは(笑)。ただ、たとえば文化人類学では文化相対主義という考え方があります。最初は近代社会が伝統社会を観察して一方的に決めつけていたんですが、学問の成熟とともに、異った文化を持つ社会間に優劣はない、ということになってきたわけです。それを人間以外の動物に広げてみることは、できるんじゃないかと思うんですよ。そういう観点で、チンパンジーの側から人間を見てみることはやりますね。
タナカ ものすごくダイナミックな文化人類学ですね。ありがとうございました。


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