ショートレクチャー
[ 悪は善に先立つ? ]

下條信輔


 

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ここではまず、悪についてわれわれが直観的に重要だと思うことをすべて、テーブルの上に並べてみようということです。ポイントは5つあります。(*1)
第1点。「悪には複数の意味成分と構造がある」。辞書的に言っても、悪天候の場合の悪、悪七兵衛景清の場合の悪など、それぞれに別の意味があるし、誰にとっての悪なのか、という状況依存性、視点依存性がある。敵討ちが悪か善かは視点によってまったく別のモノになる。悪は行為論的でもある。ある行為は悪と名指されて初めて悪となる。(*2)
第2点。「悪は善との対比で語られる」。昔から性善説と性悪説の対比がありますが、発達研究も無視できない。たとえば、暴力映画を観るとそこでカタルシスが起こり暴力を振るわずに済むという説と、単純に真似をして暴力的になるという説があって、対立していたわけです。年少児の場合は単純に真似をしやすいというデータはあります。また、悪には非相称性があります。私の感覚では、生物学的には悪が先に定義されるような気がします。善が抽象的なのに対して、悪は直接行動的に定義される。離婚は結婚を理解して初めて理解されるように、悪は善との対比で語られる。
第3点。「境界領域がある」。卑近な例ではジダンの頭突きは善か悪か、抗議の暴力をどこまで認めるか、という問題です。嘘も方便という言い方があります。社会の進化に法律が追いつかないために生じる境界領域もあります。少なくとも悪というのは、相当に込み入った手続きを踏んだ価値判断と言えます。
第4点。「悪は構成される」。つまり行動が評価、再構成され、その結果をみて悪としてラベルづけられる。法律上もそうですし、村八分といった集団心理もあります。悪からの免責もまた、相当に込み入った手続きを踏む必要がある。
第5点。「はじめに行動ありき」。つまり罪というラベル付けをされて初めて、行動は悪になる。それ以前の行動そのものに善悪は問えないのではないか、という印象が私にはある。行動に意図が加わったものが行為です。単なる行動は、極端な言い方をすれば筋肉運動に過ぎず、行動という観点では、人間と動物は連続した関係にある。では行為の部分ではどうなのか、その点は中村先生のレクチャーを待ちたいと思います。
以上の5つのポイントがあると考えます。
さて、人間のモラルは生得的で種特有のものなのではないかと主張しているのが、マーク・ハウザーという行動学者です。このまま行けば脱線転覆してしまう列車がある。乗客は5人。脱線を避けるには脇線へ乗り入れればいい。しかしその脇線には、ケース1:重い障害物がある、ケース2:その前に人間が1人いる。つまり5人を救って1人を殺す。ケース3:陸橋があり人を1人突き落とせば、5人救える、という3つの選択肢がある。ハウザーはこの3つを見比べれば、人間はほとんど生得的に選価値の違いを理解し、動物はそれができない、という主張をしています。こういう考えを持った人が2006年に登場してきています。(*3)
これらのことを考えるのにお薦めしたい本。まずライエル・ワトソン『ダーク・ネイチャー』。ドーキンスの利己的遺伝子説に乗って、人間を含む動物すべては悪いことをするという性悪説です。もう1冊はマット・リドレー『徳の起源』。一見、性善説のようですが、実は善悪の対立軸を疑っていて、最終的には世界の政治状況へのメッセージさえ発しているという、非常に奥深い本です。(*4)
最後に「なぜ人を殺してはいけないのか」についてひと言。これはテレビの討論番組で会場からこの質問が出たとき、並み居る知識人が誰も答えられなかったということで、有名になったという話ですが、私の感想は、咄嗟に答えられなかったことが問題なのではなく、かつては自明だったものが自明ではないものとして若者たちの目に映りだしたことが問題なのではないか、ということです。(*5)


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