イントロダクション
[ 現代は悪の時代か? ]

下條信輔
(カリフォルニア工科大学教授、
 ERATO下條潜在脳機能プロジェクト研究総括 / 知覚心理学、認知脳科学、認知発達学)

タナカノリユキ
(アーティスト/アートディレクター/映像ディレクター)


 

タナカ タナカノリユキです。今年もよろしくお願いします。
下條 こんにちは、下條信輔です。ルネッサンス ジェネレーション、今回は10回目ということで、テーマをどうしようかとタナカさんと相当議論を重ねたわけですが、その結果が、『悪/善 人はなぜ人を殺すか』です。まずそのあたりをタナカさんのほうからお願いします。
タナカ そうですね。10回目の今回は、いつもよりもう少し総括的な意味も含めて考えようということでスタートしました。きっかけとしては、ホリエモン事件があったり、子殺し、親殺しみたいなことが多発している状況があったりする中で、僕はそこに幼児性みたいなことを感じていたんですね。
下條 私のほうは、ロサンゼルスで生活する中で、邪悪を意味する「EVIL」という言葉がメディアで多く使われることが気になり始めたりしていました。
タナカ 加えて、宗教や会社が拠り所にならない現代において、果たして倫理や道徳はどこからやってくるのか、みたいなこともあったな。
下條 実は「EVIL」でインターネット検索すると、圧倒的に多いのがゲームのキャラクター、それも悪のヒーローなんですね。もちろん架空の世界の出来事ではあるんだけど、若い人たちの間では現実とシームレスにつながるような形で、ダーティヒーロー像がインターネットを席巻しているわけです。つまり現代社会では、悪と善の両面を持っていたり、境目が曖昧になったりしている。

悪と善の基準を理解したい。

タナカ 自分としては、これまで善と悪とか、創造と破壊といったことに関わるさまざまな話を下條さんとしてきて、10回目にしてやっと大きなテーマに辿り着いたという気がしています。
下條 そうですね。もちろん、これまで話してきた意志決定の話とかの延長線上に、今回のテーマがあるわけです。意志決定の話というのは善悪の話のある一面であって、いいとも悪いとも言い難いグレイゾーンがあったり、極端に黒だけれども真っ白にもなるような何かがあり得るとかね。
タナカ まったくその通りですね。白黒の話で言えば、今グレイゾーンが非常に広くなって、意志決定をどうしたらいいのかという迷いさえ生まれている。アートの領域では、何かを表現する瞬間というのは、何かの意志決定をする、もしくは頭だけではなく身体でアクションを起こすということだと思うんですが、そういうことと善と悪というのは繋がっていると思います。あともう一つ言えることは、どこまでが黒と呼べて、どこまでが白と呼べるのか、つまり社会から認知されるのかという点も大きい。
下條 近年の社会を見ていると、善悪の判断を下すのは誰かという点が曖昧になってきた気がするし、でももしかすると、はじめから曖昧だったんじゃないかという気もするんですけど(笑)。それはどういうことかと言うと、一つにはマニュアル化というのがある。若い人たちがいろんな場面で、とくに仕事をする場合かもしれないが、意志決定をしたがらない。マニュアル通りに動きたがる。それがマニュアルならまだよくて、最近では入力だけしてコンピュータのアウトプットを待つという形になりつつある。それはつまり、能動的な意志決定の自由をブラックボックスに委ねてしまっているようなことだと思うんです。そのあたりについて、タナカさんはクリエイティヴの現場で、どう感じてますか?
タナカ 自分の仕事について言うと、それは多分、メディアの問題も大きいと思うな。というのは、ある意志決定によって表現されたものがメディアを通してアウトプットされると、変質することもあり得るという気がします。それはもはや自分の意志を離れてしまう。
下條 なるほどね。善悪の話に少し戻すと、最近、どこかの会社の社長さんと取締役の人と部長さんとが3人並んで頭を下げて謝罪しているシーンというのを、日本のテレビでよく目にするんですよ。それ自体がマニュアル化しているといってしまうと失礼かもしれないけれど、あれを見て思うのは、結局、物事の全貌を把握していて善し悪しの判断ができる人が一人もいない領域が多いんじゃないか、ということなんですね。ある不祥事が起きてマスコミのスポットが当たると、似たような問題が芋づる式にぞろぞろ出てくる感じがする。それはつまり悪というものの位置づけが、テレビカメラの前で頭を下げるという手続きも含めて、マニュアル化している気がするわけです。つまり、生の情動に訴えかける善悪ではないところでいろんなものが動いてしまっている。それはタナカさんのコマーシャルな仕事でも、そこにいかにクリエイティヴを持ち込むかというような場面で、あり得るような気がするんですけど。
タナカ まったくそのとおりですね。たとえば善とは何か、悪とは何かといったことが定義をできないまま、善と悪とが、社会的な記憶とか周囲の意見とかに影響されて、変動している気がします。
下條 そうですね。というわけで今回は、善悪という道徳空間に踏み込んでいくわけですが、私たちなりの工夫は、悪を定義してそこから逆照射して善をみてみようと考えたわけです。というのは、これはあくまで直感ですが、善から悪を理解しようとすると、どうも発展性がないように思えたんですね。これは今日のスピーカーの一人でもある永井先生が書かれていることなんですが、善悪という道徳空間の外に出て、そして善悪のよって立つ成立基盤のようなものを理解したい。そんなふうに考えています。
タナカ 今年もイントロからだいぶ時間超過してしましたが、今年のルネッサンス ジェネレーション『悪/善 人はなぜ人を殺すのか』を始めたいと思います。まずは下條さんのショートレクチャーからスタートということになります。


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