総括討論
[ カタストロフィの時代 ]

安田喜憲×相垣敏郎×タナカノリユキ×下條信輔(進行)



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下條 まずここでは、レクチャーで語り遺したことや感想なども含めて、ひと言ずついただきたいと思います。
安田 パフォーマンスは素晴らしかったですね。感動しました。でも最後はやはり皿が倒れるべきだったと思いましたね(笑)。風船が破裂しましたが、あれはとてもシンボライズでしたね。風船は空気が入っていないと針でつついても破裂しない。でもパンパンに膨れ上がっていると、ちょっとつついただけで破裂するわけです。現代の地球は人口60億、まだ余裕があります。でもそれが100億になってパンパンに膨れ上がったら、ちょっとした気候変動という刺激だけで簡単に崩壊してしまうのです。皿が積まれている横でミルクを飲んでいた女性は「火宅の人」ですね。家が燃えている中でも我関せずと美味しい料理に舌鼓を打っている。それが今のわれわれの姿だと感じました。
下條 ありがとうございます。続いて、相垣さんどうぞ。
相垣 僕はさっき、死と寿命と老化の定義をというリクエストに対して、サイエンティフィックに死と寿命はイコールだと言いましたが、ちょっと訂正させていただきます。死はもっと観念とか心とかに広いイメージを持っているものです。あとカタストロフィには快感という部分もあると思うんです。研究もアートもそうだと思う。あるカタストロフィによってそれまで主流であった物や人は葬られてしまうかもしれないが、安定性はおもしろくない倒面もあると思う。環境面で言うと、今までやりたい放題やっていた世代がいて、これからは真剣に考えろと言ってもそれは不公平な気もする。僕は常に変わり続けるためには、新しい発想で新しいやり方をしなくちゃいけないと思うので、環境保全も新しいやり方でいかにしてゴールを同じにするかという知恵を出さなければならないと思うんです。
下條 タナカさんはいかがですか?
タナカ 多分システムの問題と思うんです。それと人間の欲望というエンジンは止められないと思う。その欲望の向かう先のシステム作りみたいなことをどうするかってことなんじゃないですか。
安田 人の心というのは何と関係するかというと、何を食べるか、どんな風土に生きるかだと思う。僕は心と自然は一体だと思う。地球という資源は限られているんです。
相垣 でも、問題はマジョリティをどうコントロールするかに対して、どんなアイディアを出すかじゃないですか?
下條 今のお話に関係のあるスライドをお見せしたいと思います(*1)。私の同僚にジェイムズ・シュトラウスというウィルス学の大家がいまして、彼に温暖化と感染症について聞いてみたんです。すると彼は温暖化が直接影響している証拠はないが、それと思わしき事実はあると。しかしそんなことより何より、人口が増えているということがウィルス学的に見るともっとも危険である。というわけです。人口が増えると、ウィルスと人間の接触面が広がりますから、絶対数が増える。絶対数、つまり患者が増えると、当然治療をする。そうするとそれがウィルスにとっての新たな環境になって、耐性を持った新しいウィルスが出てくるわけです。これはそのシュトラウスの研究なんですが(*2)、デング熱とデング出血熱がブラジルで風土病化して、マラリア以上に人が死んでいる。しかも都市部の子どもが死んでいるんですね。温暖化や環境破壊以前に、人間という種の数が突出して増えている。これを文明論的に、また生物学的にどう捉えるか。おそらく生物学的には、ある種が突出して増えるということはカタストロフィに近づくんじゃないかと思うんだけど。
相垣 それはあり得るんじゃないでしょうか。安田先生の2070年文明崩壊説について僕なりに考えると、富栄養化と言いますか、糖尿病や高血圧といった問題が地球規模で広がるのではないかと感じています。
安田 例えばヨーロッパでは、中世の第1小氷期のペストの大流行の直前にも、人口が急激に増加していたんです。そして周辺の森林を伐採していたところに気候変動があって、ペストが大流行した。ところが第2小氷期にはヨーロッパは無事だったんですね。それはなぜかというとジャガイモという新たな食糧を導入したからなんです。
下條 なるほど。ここでちょっと相垣先生に私から質問をさせてください。まず、レクチャーの内容についてですが、遺伝的に決定されているという話とプログラムされているわけではないという話の関係をもう少し分かりやすくお願いします。
相垣 遺伝的に決まっているというのは、遺伝的な制約から逃れられないということです。つまり今の段階で、人間が持っている遺伝子をベストに使い尽くしても、120歳以上は生きられない、というような意味です。そしてプログラムではないという意味は、ある時間が来たら死の遺伝子のスイッチが入って死ぬ、というようなことはない、ということです。
下條 意外だったのは、遺伝子の観点から寿命の研究をされていると聞いたときに、条件反射的にテロメア説かなと思ったんですよ。そのあたりをお話ください。
相垣 私たちの細胞の中には46本の染色体があります。両親から23本ずつ受け継いでいる。染色体は端が閉じていて、その端がだんだん短くなっていくというのが研究でわかったわけです。その端をテロメアというんですが、テロメアが短くなってしまうとDNAの複製ができなくなり、細胞分裂の限界がくる。ものすごく大雑把に言ってしまうと、その端が個体の寿命を決定しているのではないかというのがテロメア説です。しかし、人間の細胞には、脳をつくっている神経細胞のように分裂しない細胞もあります。それが壊れて死ぬこともあるわけですから、テロメアの長さは一つの指標にはなるかもしれないけれど、個体の死をテロメアが決定しているわけではないというのが、私のスタンスです。
安田 僕は最近、自殺のことを考えるんですけどね。日本人の自殺率というのはすごく高い。これはDNAの問題なのか心の問題なのかどうなのか。
下條 私の知る限り、動物には疑問の余地のない自殺のケースというのはほとんどないですよね。ただ子殺しはチンパンジーで報告されているんですね。自殺とDNAの関係というのはいかがですか?
相垣 自殺とDNAの関係はわからないですね。それはカルチャーの問題だろうと思います。
タナカ さっき下條さんが言っていた行為の原型、クレオドの話とか相垣さんの言っていた女性を好きになる遺伝子みたいな話について聞いてみたいんですけど。遺伝子というものは感情まで組み込んでいるのかというような。
相垣 要素的にはあると思います。人間も染色体によって雄と雌が決まり、基本的に雄は雌に、雌は雄に惹かれるわけですから。
タナカ それがクレオドなのか感情なのかはいかがですか。
相垣 性的な行動の差というのは、厳密には区別できない部分があると思います。それはやはり親がそういう教育なりをしていくわけですから。内的な動機だけでそうなっているかはわからないですね。
下條 生物学が倫理的なものにどう作用するかは複雑な問題で、ニュートラルだと済ましていられるわけでもないと思うんです。というのは、例えばアルコール中毒に関しても、以前は臨床心理学と社会学の問題だったけれど、研究によってアルコール中毒になりやすい遺伝子がわかってきたわけです。
タナカ でも後天的な刺激によって、細胞の調和や共生みたいなことが働きによって変わってくるわけですよね。
相垣 そうですね、そこですでに環境とインタラクションしてるわけですけれど、遺伝子研究で誤解されやすいのは、われわれは研究するときというのは、遺伝子の働きが最大にわかるようにコントロールするわけです。ですから、実際にはものすごく複合的だと思っています。僕はむしろ環境からの影響のほうが大きいと思っていて、それを証明するためにやっているわけです。
下條 但し遺伝学者が環境と言う場合、その環境というのは別の遺伝子のスイッチが入ってるかどうか、脳がどう働いているかが環境だったりするわけで、ちょっと意味合いが違っているわけです。
安田 僕はちょっとホッとしましたね。人間がすべて遺伝子で決定されているなんて、僕には耐えられない(笑)。
下條 ミームという文化的遺伝子という概念があって、ニッチコンストラクションという概念がある。フンコロガシは頭部が糞を転がしやすいように発達している。それはダーウィニズムで言う淘汰圧が働いて、そういう形態に進化したわけです。だけれども、そこで言っている環境というのは自分で作っている環境なわけです。これがニッチコンストラクションという概念なわけです。つまり、人間が他の動物と顕著に違うのは、ニッチコンストラクションをすることで自分の環境を変える、その度合いがすごく大きいんですね。極端なことを言えばもし文明が進んで、人類が外の大気に触れずに生活できるようになれば、地球の寒冷化や温暖化はまた別の次元の問題になるかもしれない。遺伝か環境かと言ったときに、現代はニッチコンストラクションがすごい速さで増幅している。例えば、アフリカの湿地帯には遺伝子にマラリアに対する耐性を持った人種もいるんです。つまり、人間が環境を変えるということは、遺伝子にも跳ね返ってくる。そして遺伝子が変わることでまた環境を変える。その増幅する回路というのを、安田先生の地球環境が数年単位で変化してきたという話とリンクさせると、意外と遺伝子というのも短い期間で変化してきた可能性が考えられる。そしてその変化スピードはより速くなる可能性がある。
そうすると、もしかすると、安田先生の予測は早まるかもしれないし、別の抜け道を見いだせるかもしれないわけです。それではそろそろまとめに入りたいと思うんですが、みなさんからひと言ずつお願いします。では安田先生から。
安田 例えば1989年のベルリンの壁の崩壊とか、人の心というのはある飽和点に達したときに一気に雪崩をうって変わる可能性を持っている。私はそこに期待を持てると思っています。
下條 その意味では、ナショナリズムの勃興というのもカタストロフィ理論で説明しやすいわけです。ある条件とある条件が重なると突然ネオナチズムが広がったり、そこには似た条件で以前は広がらなかったというような発散性の問題も絡んできたりするんだけれど、人間の心理というのは増幅する回路を持っているというのは言えると思います。続いて相垣先生どうぞ。
相垣 2070年をどう乗り切るかという話はとてもわかりやすいと思いますが、やはり僕はマジョリティをどう動かすかだと思います。現代においてはやはりビジネスと結びつけてやらないと、変わらないように思います。
下條 ご自分の研究についてはいかがですか?
相垣 究極的には人間がどういうふうに変わっていくのかに興味を持っています。代替身体とかクローンというのは僕はあまり明るい未来に感じられなくて、今やろうとしているのは、生命を素直に見つめたいというか、われわれのゲノムの中に何が記録されているかを知りたいと思っています。
安田 一つ質問したいんだけど、バクテリアより高度の生物には、死というものがあるわけですよね。
相垣 組み込まれているというか、われわれは有性生殖で種の保存をするわけですから、そこまでは生きられるようになっている。それ以降は必要ないから、それ以上長生きするようにはなっていないということです。
下條 なるほど。ではタナカさん。
タナカ 社会をこのような形にしている増幅装置は脳だと思うんです。それが嫌うものは予測不可能なものや死といったものじゃないかと思うんです。それがどこからやってくるかに興味がある。それと遺伝的なことで言うと、いろんな細胞が協調しながらも120年ぐらいで歩留まりというか、死に至るわけじゃないですか。もしかすると、その増幅装置の中の恐怖みたいなものが死を呼んだり神を発明したりしているのかもしれない。脳と遺伝子を分けるつもりはないけれど、もし恐怖がなければカタストロフィで死んでいけばいいわけじゃないですか。でも、なぜ人間ががんばって生き延びようとするのか。
下條 それは脳というものが自己保存のために有利なような選択をするようにできているから、そのためにがんばる。しかしそれは遺伝子の保存とは別なわけです。つまり個体が死ぬと脳は死にますが、遺伝子は子孫に受け継がれて生き延びるわけです。大袈裟に言うと、それが人間の業じゃないかという気もするんですがね。ただ一つだけややこしいことを言うと、MITに脳の可塑性の研究をしているグループがあって、胎児や新生児で脳の神経系が環境の影響でどれだけ柔軟に配線替えをするかという研究なんですが、例えば本来なら音の情報を処理する聴覚皮質が、眼から入った信号を処理するようにできる、ということを示したわけです。その上で、その可塑性がある遺伝子のエクスプレッションに支配されているということを示したわけです。これが遺伝決定論に荷担するのか学習説に荷担するのかといえば、両方なわけです。
相垣 ひと言カタストロフィの見方をさせてもらえば、僕は研究の中で、カタストロフィを常に求めているというところがある。研究におけるブレークスルーを求めていて、それにはカタストロフィがとても大切な要素になると思っています。
下條 ルネッサンス ジェネレーションは科学の啓蒙イヴェントではなくて、科学でわからない限界は何なのかをできるだけ明確にしたいということでやっています。今われわれが直面している問題というのは、カタストロフィという切り口で見たときに、すべて理解できるとは言いませんが、同じテーブルの上に載せることはできるかもしれないと思います。現在のわれわれの知識が知のシステムだとするなら、そのテーブルに載せる行為の中であるとき相転移を起こして、まったく別の新しい知の構造にジャンプできるかもしれない。その場所では、人間の認知の限界をこえて、もっと長期的な叡智ある振る舞いをできるかもしれない。今回はとりあえずテーブルに並べる作業はかなりできたと思っています。ありがとうございました。
タナカ 安田さんの2070年というのはすごく強烈でしたけど、今回またいろいろと考える機会になって、来年のテーマのヒントもすでに出てきたように思います。また来年、お目にかかれればと思います。ありがとうございました。
下條 長時間お付き合いいただき、ありがとうございました。



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