対論
[ 心の中のカタストロフィ ]

下條信輔×タナカノリユキ


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下條 ユニークなゲストのお話は、それぞれ違った意味ですごい話でした。
タナカ 2つとも過激だったな(笑)。
下條 北野さんのビデオインタビューも含めて、今の段階での感想は?
タナカ 非常に破断的だったり、リニアじゃなかったりというのが驚きでしたね。人間の思考ってやはり理論的じゃないですか。ですから、そういう人間がこの破断的なカタストロフィを、感じたり予測したりできるのかって思いましたね。
下條 そういう意味では科学の歴史が参考になるんですよ。かつてはニュートンの微分方程式が世界制覇をしていたんですね。ある現象の初期値がわかっていれば、T0からT1への変化を記述する微分方程式を用いると、次の状態が次々に解明できる。これが『ラプラスのデーモン』と言われているもので、有史以来われわれの宇宙は無限の彼方に向かって予測可能であるという決定論だったわけです。
 ところがニュートン力学では捉えられないものが生じてきて、複雑系やカオス、カタストロフィの理論がその世界観を乗り越えた。時としてジャンプが起きたりするけど、まったくランダムに振る舞っているわけではないような複雑な構造も、それらの理論で理解できるようになったわけです。
タナカ 矛盾とか予測不可能とされていたもの、それまでのニュートン力学では定義できなかったものにも科学的理解を見いだしたということですね。

カタストロフィ理論について
下條 ここではもう少しカタストロフィの理論の説明をしておきたいと思います。ちょっとタナカさんに見せたいおもちゃがあるんですよ(*1)。これはぐるぐる回る円盤があって、支点があって、それをゴムひもでつないだだけのものです。このゴムひもの先を動かしてみると、しばらくは何も起こらないけど、ある段階にさしかかると、円盤がグルッとジャンプするわけです。で、このゴムひもの先を右から左へ動かすときと、左から右へ動かすときとでは円盤がジャンプするポイントが違う。つまり過去の履歴に影響されるわけです。
タナカ それがいくつも繋がっているということもあるわけですよね?
下條 そうですね。例えば二酸化炭素の問題でも、ある量を超えたときにジャンプが起きているんだけれど、じゃあそれを人間が認知するかというとするとは限らないわけです。それにはもう1つ人間の認知用の円盤をくっつけて、非線形にあるところでグルッと動くということになるんだと思う。そしてそれはお互いに影響し合うわけです。そういう円盤がいくつも繋がっているのがグローバリズムということになるのかなと思うんだけど。
今お見せしたおもちゃは数学者のジーマンが考えた「ジーマンの機械」というものなんだけど、円盤が現象空間で、ゴムひもの先が制御空間になっているわけです。これはイントロダクションでお話したW字モデルに通じる話です。
では、スライドを見てください。犬の行動に関するものです(*2)。犬は恐い敵が現れると、パニックに陥るわけです。それが緊張の高いパニック状態では攻撃と逃走が拮抗して、逃げ回ったかと思えば突然反撃したりするわけです。それをカタストロフィの理論でモデル化すると、右のような歪んだくさび曲面を使って表現します。1から4はそれぞれ左の1から4の状態を示しています。攻撃していた犬があるとき突然、曲面の崖から落っこちて逃走へと行動を変えることがあるわけです。縦軸が表すのはジャンプ、つまりカタストロフィの大きさを表しています。
タナカ このジャンプはそれ以前の状態によって変わってくるということですね。
下條 そうです。カタストロフィには突然のジャンプと過去の履歴に影響されるという2つの特徴がありますが、もう1つ、発散性があります。それは元の状態が少しずれるだけで、正反対の現象に進んでしまうという特徴です。つまり犬が少しだけ気が立っていればどんどん攻撃に向かっていくわけです。
タナカ それは履歴とは違うわけですね。
下條 履歴というのは斜面を右から左へ移動したときのことで、発散性というのは縦軸方向に力が加わった場合です。そして、カタストロフィの理論は力学系のモデルですから、生物の発生に一番力を発揮するんです(*3)。生物の発生というのは、衝撃波リペラで切断されて細胞分裂が起こると。リペラというのは、W字モデルの山の天辺、峠部分を指すんです。安定を拒否する状態ですね。地震のときの地割れを考えてください。地割れは突然地面に裂け目が入って、それが進んでいく。裂け目のエッジの部分がカタストロフィの点で、その内側と外側は地面と空間でそれぞれ安定している。その境目に突き刺さっていくナイフのような物、それを衝撃波と呼ぶんだそうです。そうやって裂け目ができることで、細胞が分裂していく。あるいは形態の変化が生じる。ということで、生物の発生に有力なモデルを提供しているわけです。で、最後のスライドです(*4)。具体的なカタストロフィの現象を紹介してみます。まず砂丘の風紋。まったく均質に見えたものが、あるとき風が吹くと、突然こういう模様が浮かび上がる。そしてミルクに何かを落としたときのスプラッシュ。これも毎回違う跳ね返りをする。それから風船が割れるとき。この裂け目の形態というのも、カタストロフィの理論で説明できるというわけです。
先ほどの犬の行動というのは心理ですよね。で、こういう形態発生というのは無生物で起きている。ところが生命の発生は生物です。生物と無生物、心と物といったこれまでサイエンスの中で別個に考えられてきたものが、ある現象レベルではそんなに違わないのではないか。似た数学で記述できるのではないか、という可能性を、カタストロフィの理論は感じさせてくれるわけです。

カタストロフィとクリエイティヴ
タナカ カタストロフィというのは発散性と履歴で違ってくるわけですよね。それでも誰でも経験するのかしら?
下條 誰でもというより、すべての構造が経験するということです。カタストロフィはプロセスのモデル、力学的な変化の記述なわけです。
タナカ ビジュアル的なことで言うと、爆発とかミルククラウンにしても、瞬間的なことばかりですよね。
下條 ですから、あるエッジを超えた瞬間に大きな変化があるけれど、その前後は安定しているわけです。
タナカ 人間のクリエイティヴについていうと、そういうことってしばしば起きてるような気がするんですよ。何かアイディアが突然閃くみたいなこと。僕がちょっと思っていたのは、ある型みたいなものがある極端なところで、スイッチが入ったように変化していくというのがあるのかなと。つまり、あるトレーニングを繰り返す中で突然ジャンプするとか、そのこととは関係ないことで閃いたりするというようなことかな。フォームとフォースみたいな。
下條 それは野球選手のフォームに近い話ですよね。
タナカ 何か限定した中でずっと考えてるようなことも含めてって感じかな。
下條 なるほどね。現代アートを近代アートから区別するものはこれだと思うんですよ。つまりデュシャンのトイレを素晴らしいアートだと崇めるのはナンセンスで、それを美術館に持ち込んだ行為がアートなわけですよね。
タナカ そうですね。何か突破的な行為を起こしてしまう。あるフォームの中でいきなり違うフォースがでてきてしまうとかね。あと、内部的なものと社会的だったり環境的なものとが合わさったときに、システム化されたり。
下條 そこがトポロジーの強みで、例えば細胞分裂をトポロジー的に言うと、閉じた空間が1つだったものが2つになるということなんだけど、これはものすごく普遍的なんですよ。排泄は1つの個体だったものが、個体と排泄物に分かれるわけですよ。射精や出産もそうです。逆なら食べ物を摂取すること。これは2つのものが1つになる。これはクレオドという概念を使っているようなんですね。クレオドというのは行為の部品を意味していて、例えばロボットの部品と言えば歯車みたいな物だが、物ではなく行為の部品。何かを体から分裂させるという行為はものすごく普遍的で、いろんなレベルで起きていると。
タナカ そうすると行為の原型みたいなことですか。
下條 そうです。それが組み合わさって自然界の言語になっていろんな意味論をつくっていると。で、アートがやっていることは、その意味論を1回崩して、一見無意味なクレオドを提示したり、あるいは非常に命にとって原型的なクレオドを組み合わせることで、一瞬だが精妙複雑なクレオドを成立させるということなんじゃないかと。それは、タナカさんがいつも言っている、現代アートにおいて物語性を排除するって話に近いような気がするんですよ。
タナカ それをただ意味不明な形で出すのではなくて、それを見たり感じたりしている側が新しくシステム化していく。
下條 そうです。古いカタストロフィを消して新しいカタストロフィをつくれば、それは歴史に残るんだと思うんです。そのことはサイエンスでも同じで、ある偉大な方法論の発見があれば、そのフィールドの構造全体が別の安定状態に移る。
タナカ カタストロフィについて言うと、学習するもののジャンプ力がすごいと思うんです。通常にトレーニングしてわかるものってあるんだけれど、ところが自分でも解釈不能なことが突然やってくることがあるんですよ。
下條 解釈不能だけど、ある種のテンションや爆発力は感じられると。
タナカ そうですね。それとそこに見たことがないクリエイティブな埋蔵量が感じられる。
下條 それが先ほどのくさび曲面でいう、たわみの深い場所へどうやって自分を追い込むかってことだと思う。修行とか自己鍛錬というのは崖の深い方へ行こうとする自己制御だと思うんです。
タナカ カタストロフィでの学習性みたいなものが、通常のときよりも爆発的に大きいと思うんですね。でもそれはなってみないとわからないし、そこにはリスクも伴うからなかなか行けない。
下條 それは人間が自分の知をどうやって超えられるかという話に繋がっていて、どうやってデザインできるか自己制御できるかに繋がっているわけです。
タナカ カタストロフィによって生まれる新たな何か、知のジャンプみたいなこととが、複雑化している社会や環境を乗り越えていくことはあると思いますか?
下條 2つにはっきり分かれると思うんですよ。つまりくさび形が深くなることは、相当摂動してもノイズになって消えてしまう大部分と極少数の大化けするものに極端に分かれてしまう。まさに非線形になる。現代というのは好むと好まざるにかかわらず、崖がどんどん大きくなっているように思います。


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