総括討論
「ホマンキュラス、エージェント、創発」(+質疑応答)

川人光男×坂井克之×タナカノリユキ×下條信輔


 

(↓画像をクリックすると拡大します)

 

下條 まずは、今までのレクチャーや対論についての感想から始めたいと思います。では坂井さんからお願いします。
坂井 タナカさんのお話を伺っていて感じたのですが、アーティストというのは多分、言葉で表現できないところを追い求めているんだけれども、タナカさんは非常に論理的に言葉で説明しようとされていました。そこで伺いたいのですが、アーティストとサイエンティストは共存できますか?
タナカ それが必要とされる世の中になっちゃったって感じです。こんなことしゃべらないで、追い求めるだけでやっていければいいんですけど、許してくれない(笑)。
下條 僕に言わせれば、タナカノリユキという個人の中で、アーティスト的個性とサイエンティスト的個性が共存できてるんだと思う。自分のやってることを言語化できる。でも、言語化して定型化してアーティストと称してるかというと、まったくそんなことはない。そこが興味深い。
タナカ でも最後には、納得いかないことやよく分からないことが残るんです。僕の中でやっぱり違うんじゃないかという部分がすごい反動となって、モノを作ることに過剰になっていくみたいなことかな。
川人 タナカさんの話で、ダメなものはすぐ判断できるけれども、本当にいいものの判断には時間がかかるというのがあって、それは今日お話したことで、人間モデルの不自然な動きは私でもすぐ分かるんですよ。なぜ分かるかはうまく言えないけれども、脳の活動を見ても速くてしかも脳の低い部分、側頭葉の部分で判断がついているんです。ところが人の形をしたドットモデルで人間の動きを判断する場合は、けっこう時間もかかるし自信がない。ですから本当にいいモノの判断は、前頭葉まで情報が流れてたっぷり反芻しなくちゃならないけど、ダメな時は情動系や大脳皮質でも下位の部分で判断できるのかなって。
タナカ あのドットモデルに関しては、造形として面白いなって部分があって、被験者に人型の説明をされてデータを取ってるというお話でしたけど、説明抜きで実験したらどうなるんだろうって(笑)。
下條 それは坂井さんのモデルで言うと、魅力的なのはAだけどお友達になりたいのはCとかね、それによって脳の中のリンクが替わるわけですよね。
坂井 そうですね。ですから、同じ視覚刺激が脳に入ってきても、自分が何を目的にするか、何がゴールかによって、脳の回路に重みづけが生じて通る回路が変わり、信号の伝わりやすさに差が出てくるんです。
タナカ 正しい判断って言葉は、目的とかゴールからくるんですか?
坂井 そうですね、目的に一致していれば正しい判断と理解します。
下條 但し実験室では、実験者が定義するんです。実験者の正解というのは相当人工的なもので、実験を始める前から正解は決まってる場合が多いですね。だから先ほどタナカさんが言われていた入れ子状態とはかなり相反する話なんだけれども。
川人 ノイズのおかげで自分が思いつかなかったような解にたまたま行き着くと。それは自分がまったく経験したことがないものだけど、それまで考えたすべてのものよりいいと。それはノイズでサーチしないと、既存のレパートリーの中だけ探していても、決して外には出てこない。そういうノイズの効用はすごく面白いと思います。
タナカ 先ほどの指針の中に「自分を否定する」ってあったんですけど、今の話を聞いていて、あれはもしかしてノイズを誘発するってことなのかなと。書いた時はまったく思いもしなかったんですけど(笑)。
下條 まったくそうだと思う。自分の典型的な行動から飛び出してランダムウォークをしないと新しいことは見つからない、と。
タナカ もう1つ訊きたいことがあって、バイアスの数が多いというのはどういう結果を生むんでしょうね?
坂井 タナカさんの場合、たくさんある伏線が様々な方向を向いてるわけじゃないですか。そうするといろんな情報の中から答えを導き出す時は、この伏線にもあの伏線にも合いそうだというところででゴーサインが出るんじゃないか。でも、何にもないところでパッと閃くという話がありますよね。睡眠中に閃くとか。記憶などの脳内情報は睡眠中に再組織化され、それが記憶として確かな形として固定される。でもそこで何かが変わってしまうことがあって、それが閃きになるという話があります。
タナカ なるほどね。あれだけのバイアスを全部満たすためには相当高度なクリエイティヴじゃなきゃいけないことになるし、その場では決められない。で、とりあえず放っとくんでと、何か別のことをやってる時とかに閃いたりするんです。
下條 今の話をアーティストの直感と脳科学と両方に合うようなアナロジーで言うとすると、落ち着きのいいところを探してるってことじゃないかと思います。先ほど坂井さんが記憶は睡眠中に固定されるって言ったけど、みなさん、ガリ勉した後はちゃんと寝てくださいね。寝ないと固定されないから、試験の時も使えませんよ。

「囚人のジレンマ」での脳の働き
下條 ここで、川人さんが用意されてるものをご披露いただきましょう。
川人 これはデモでも紹介された「囚人のジレンマ」課題そのものを被験者にさせて、その時の脳の活動をみたfMRI実験です。この実験では、脳活動を計測されている1人の被験者がコンピュータの2つのプログラムと対戦します。被験者はそれぞれのプログラムと対戦しながら、相手の戦略や傾向を把握し、一番儲かる最適戦略を学んでいくわけです。この実験の目的は、よく学べた被験者と学べなかった被験者の脳活動を調べることです。2つのプログラムのうちプログラムAの設定はしっぺ返し型です。1回前に人間がやったことを必ずやり返すわけです。ですからこちらが協力すると次回はプログラムも協力してくれます。
下條 今日のデモでもありましたよね。
川人 特にデモの場合は、利益マトリクスを1回毎に協力と裏切りを交替しながらしっぺ返しをすることが最適戦略になるように設定されてましたからね。
下條 元々の課題の利益マトリクスよりも、ドラマチックになるように設定したんです。
川人 今紹介しているのは普通の囚人のジレンマでして、基本的には協力がいいというものです。で、しっぺ返し型のプログラムAと対戦する時の最適戦略は、常に協力するです。そしてもう1つの対戦者プログラムBはバカ正直で、70%は協力してきます。これに対する最適戦略は100%裏切る。で、実験結果を言ってしまうと、20数人の被験者全員がプログラムBに対しては裏切り続けるという最適戦略を獲得できます。ところがプログラムAに対して協力し続けるという戦略を獲得できたのは約1/3でした。被験者を3つのグループに分けると、グループ1は最終的にAB両方に対して正しい戦略を獲得できています。グループ2はAに対してはしっぺ返しをしかえしています。これは準最適解です。そしてグループ3はAに対するしっぺ返し戦略をまったく把握できていません。この3つのグループの被験者の脳活動がどう違うかを見てみたわけです。
そうするとまず、グループ1は脳活動が活発であることがわかります。それに加えて彼らにのみ扁桃体と島回の活動が見られるんです。この解釈はまだ迷っているんですが、島回は損することに関して活動するので、裏切られることでの損を予期しながら、それでも協力できたということではないかと考えています。それに対してグループ2は前頭前野腹側部で強い活動があり、グループ3は感覚運動変換に関わる領域しか使ってない。つまり裏切りだけなら、前頭葉も大脳基底核も使わずにできてしまうんですね。
下條 ハハハッ、なるほどね。
川人 これは始めたばかりの仕事なのではっきりしたことは言えませんが、しっぺ返しをする相手に対して準最適解を見つけるためには大脳基底核を働かせなさい、そしてしっぺ返しをする相手に対しても協力してグローバルな平和をもたらすためには前頭葉と島回を働かせなさい、ということです。ではどうやったら働かせることができるのかというと、私は知らないのですが(笑)。
下條 大脳基底核を働かせなさいと言われてもねえ(笑)。この話が画期的だと思う1つの理由は、脳活動の計測方法が出てきたことによって、脳の中で何が違うかを答えられるようになったということです。これまでは心理学も行動科学も個人差をノイズとして無視して、個人差がないこととしてセオリーを立ててきた。でもこれからは、脳のこの部分がこの活動をしてますというセオリーを立てた時に、個人差までもがそれを補完するデータになりえるわけです。

前頭葉が担うこと
タナカ 今の囚人のジレンマの話を受けて質問したいんですけど、倫理観みたいなことって前頭葉が担ってるんですかね。
川人 先ほどの正しい判断の話とも絡んでくるんですが、この実験の利益マトリクスは、両者が協力すれば一番儲かるように設定されています。その意味では倫理観と現ナマの報酬が一致してる。倫理観があまり犠牲にならない設定なわけです。
坂井 そもそも倫理観は文化依存的ですよね。確かにこういうブレインイメージングの研究はあって、倫理観を判断する課題を設定してfMRIで検査すれば、脳の活動する領域は分かるかもしれません。でもその領域が倫理観を反映してるという結論は早急すぎると思いますね。
川人 倫理観というのはひょっとして、文化が一定期間続いてる社会の中で、ある意味その社会を構成するたくさんのヒトに平均的な報酬なのかもしれないですね。若くて能力のある人にとっては、社会の倫理観とは反した行動が最適かもしれないけれど、そういう人は大抵、批判されるんですよ。
タナカ 100mを少しでも速く走ろうとする陸上の選手の話で、それを達成すること自体を報酬と呼ぶんですか?
川人 それを内的報酬と呼ぶ人がいるんです。その時、脳の中で何が起こっているかはぜひ見てみたいんですけどね。ただ、大脳基底核にドーパミンニューロンというのがあって、それが活動すると報酬を感じるようになると多くの人が思っているんですが、そうするとドーパミンニューロンを活動させることは何でも内的報酬という話になってしまう。それもつまらないですよね。食欲や性欲がドーパミンを活性化することは分かっているとして、もっとアブストラクトな内的な状態がドーパミンニューロンを活動させるのはどうしてなんだろうという、その仕組みを僕らは知りたいんだけど、まだ分かってないんですよ。
下條 それは僕も気になってる問題なんだけど、古典的な心理学では快は報酬で定義されて、実験者が与えるものだったわけです。ネズミがボタンを押すとエサのペレットが降りてくるとかね。その結果、神経科学は外から来る報酬に基づいてモデルを作ったから、それ以外の快について調べられてないんじゃないかという疑いがある。大袈裟に言うと、10代の若者たちは24時間テレビゲームにはまってますという時に、それを両親から褒められる人は少ないだろうし、食べ物やセックスに繋がると思ってる人もいないだろうと思うんですよ。やはりテレビゲームをやることの中に快がある。
やること自体の快と解釈することもできる。
タナカ その時は快が報酬になる?
下條 そうです。やること自体の快が報酬になって、ますますそのことを学習するとか、経験によって解の濃度が上がるとか。
川人 ドーパミンニューロンは食欲や性欲といった一次的報酬に対してだけではなく、テレビゲームをするとか金銭報酬をあげるとか、今まで高レベルの報酬だと思われていたことに対しても活動するわけです。
坂井 そこで一番知りたいのは、最終的にドーパミンが増える、だけどそこに至るまでの経路で、何がドーパミンを増やさせているのか、っていうところですよね。
下條 まったくその通り。問題を先送りしただけってことですよね。そろそろ時間ですので、最後にひと言ずつお願いします。
川人 お話した左右のボタンを選んで押す実験ですけど、被験者にとっては強化学習の中でも簡単なものなんですね。ところができない。被験者は余計なことを様々に考えすぎちゃうんです。実は、報酬と行動と視覚刺激を結びつける時にもっとも問題の難しさがあって、それはきっと前頭葉がやっているんだろうと僕は思うんですよ。前頭葉は運動系とも感覚系とも繋がってるし、大脳基底核から報酬の情報も受け取っているわけですから。学習する本体は基底核や小脳にあるんですが、報酬と感覚と動作のどれを結びつけるかという問題を解いているのが前頭葉だろうと考えています。
坂井 クリエイティヴィティというのは、外界に今まで存在しなかったものを作り出すこと。しかも外から与えられたものではなく、自分自身の脳の中から新しいものを作り出すことですよね。そうした場合、取りえる戦略は2通りしかないのではないか。1つはいろいろなものをごちゃ混ぜに頭に放り込んで頭をノイズで満たして、そこから前頭葉でポッと浮かび上がったものを取り出す。2つ目は、具体的な事象はそこら中にありますから、様々な脳の部位を総動員して情報を前頭葉に入れて、具体的なイメージの共通するものを抽出したり統合したりして新しいものを作り上げる。
タナカ 今日話を聞いて、自分が何となく決めていたり判断したつもりでいたことが、実はそれぞれに理由なり原因なりが自分の脳の中にあったんだ、という気がしました。実は僕の場合、不可解な部分は手で考える、手で触っているうちに何となく形が見えてくることもあって、それと先程の言葉で考えていることとの往復交通がある。手から出てくることも自分がやってる作業の中では逆流することもあるかなと思いました。
下條 考えてみると今日は、脳科学の貢献がここ数年の間に、前頭葉を中心にしていかに重要なものであったかが分かると同時に、もっと重要なことはまったく問われてないという気が、私はしました。今日はほんとうにありがとうございました。


close