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 「他者の心は実在するか」というテーマでレクチャーをさせていただきます。実在するのは当り前だと多くの人は考えるわけですが、まずごく簡単に、他者の心は実在しないという証明をしましょう。
 私と誰かの脳を繋いでみます。そうするとその人のホントの心の状態がわかるはずだし、その人の視覚世界や触覚などの感覚を感じられるはずです。ところがこれは偽の問題です。なぜなら脳を繋いで感覚を共有できたとしても、そこで得られた感覚はあくまで私の感覚としてしか得られないという結論が待っているのです。この論理で言えば、他人の心は存在しない、ということになります。
 しかしこれで納得する人もいないでしょう。なぜなら私たちは他者の心を日常的に感じているわけですから。
 というわけで、「他者の心は人間の進化の過程で獲得した独自の概念である」というお話をしようと思います。
 まず、あるエピソードをお話します。私がいた霊長類研究所では、風邪を引いたチンパンジーに子供用の甘いシロップの風邪薬を飲ませるんです。チンパンジーはこの薬が結構好きです。あるとき、咳をしていたチンパンジーに風邪だと思ってシロップを飲ませると、その途端に咳どころか風邪を引いていた様子もなくなり、元気に飛び回りはじめたんですね。
 これはチンパンジーがシロップをほしくて演技をしていたのだろうという話になりました。では、どこまで分かって演技していたのか。「以前にせきをしたら甘いシロップがもらえたから今回も咳をしてみた」「 咳をすると風邪を引いたようにみえるということを考えながら咳をした」という2つの可能性がありますが、私たちは後者、つまり他者の心の状態を推測しながらシロップをもらった、と考えたわけです。それを区別するためのテストが心の理論課題テストです。
 このテストは1983年にウィマーとパーナーが3〜5歳児に対して行った「信念についての信念の実験」です。ちなみに1985年にはバロン・コーエンが自閉症児を対象に行った同様の心の理論課題テストが、心の理論というキーワードを世界に広めるきっかけになりました。
 この実験の結果、5歳児は他者の心理を推論できるけれども(*1)、3歳児には推論できない(*2)ということが分かったわけです。そしてこの実験を元にデネットという哲学者は、考えていることを考える信念の入れ子状態を提示しました。その考え方に基づいて、先ほどのシロップをもらおうとした咳をしたチンパンジーの心の状態を以下の3段階に考えてみます。
レベル1=咳をすることでシロップをもらえると考えている。
レベル2=咳をすると人間が風邪を引いてるからシロップを与えようと思う、と考えている(*3)。
レベル3=咳をすると『風邪を引いてるからシロップを与えよう』と思う、とチンパンジーが考えるだろうなと実験者が考える、というところまでチンパンジーが推察している(*4)。
 このレベル3の状態は非常に重要で、自分の心が他者の心の中に登場するわけです。これは何かというと、ウソをつくためには他者と自分の心を区別することが必要ですが、レベル3になって初めてウソがつけると言えるわけです。それをまとめると次のようになります。
レベル1=物理的因果に基づくウソ
レベル2=他者の心の状態を推測してつくウソ
レベル3=自分の心の状態が他者からどう見えているか推測してつくウソ
 私は「レベル0=擬態など意図せずにつくウソ」というのを加えて3つのレベル+αという形で分類しています。
 続いて心の理論の進化プロセスについてお話します。ここでは鍵となる「目が合う」という行動に絞ってお話します。
 目が合うためにはまず、眼球の位置などから他者の視線の検出ができなければなりません。でもそれだけでは足りなくて、自分の視線が相手に検出されているということを理解できなければならないわけです。それはまさにレベル3の状態だろうと思うわけです。
 ではここで大雑把に、目が合うことからさまざまな生物種におけるコミュニケーションの複雑さを考えてみます。
 他者の視線を認識できない生物。これは多くいます。ニホンザルなどマカク属の場合は、目を見るとすべて威嚇になります。そしてチンパンジーなどの類人猿は、限定された場面で目が合う。ゴリラの挨拶やチンパンジー母子のコミュニケーションがそれです。このように、目が合うのはほとんど観察されない難しい行動であり、人間特有の行動と言ってもいいと、私は思います。これを元にあらためてまとめると次のようになります。
レベル0=生得的行動=昆虫・爬虫類
レベル1=物理的因果学習=ほ乳類
レベル2=他者の心を推測=類人猿
レベル3=自分の心を他者の心に見る=人間
 では、進化の過程で獲得した他者の心とは何か。二乗してー1になる虚数をiとして想像してみたら新しい数字が生まれたように、他者の心とは、存在しないけれど感じることはできるモノ。それを想像してみることで、かけひきとか新しい個体間関係が生まれたわけです。ですから私の結論としては、「他者の心は実在はしない。しかし想像は出来る。そこから人類の〈ゲーム〉が始まったのだろう」ということになるのです。

下條 心の理論課題に関して、3歳児と5歳児の違いは単純に成長した複雑化ではないか、という疑問がありますが。
金沢 その可能性も確かに認めれると思いますが、お見せしたビデオに限らず、その周辺のさまざまなタスクを観察すると、5歳児は「考えていることを考えている」ということが示唆されるんです。これは多くの実験で証明されています。
下條 バロン・コーエンの自閉症児での実験について教えてください。
金沢 自閉症児というのは非常に賢くて、いろいろな知的パズルを解けるのですが何かが違うと。その違いが長い間謎でした。コーエンは自閉症児は心の理論課題をこれをパスしない、ということを示したわけです。それによって、人間の社会的な能力の基礎に心の理論課題が大きく関わっているのではないか、ということが明らかになったわけです。
下條 たとえば、eメールのやり取りでも他者の心を感じることがあると思います。このときには視線は文字通りの意味ではないわけです。携帯電話とか自分と他者の関係を広げる新しいメディアが出てきたときにどうなんでしょう。
金沢 例えばメールを読んでいて意図を感じる瞬間というのは、そのヒトの視線が内在化された形だと思います。
下條 他人の心が存在はしないが想像できるということですね。もう一つ、私の心はどうなってるのか。私の心のリアリティはどうなっているのでしょう。
金沢 知覚は最初に与えられているという下條先生のレクチャーに関わるかもしれませんが、心は前提としてあって、それが自分の心だと思うんです。ただわれわれはレベル3の状態ですから、その視点から見るとそれを対象化して「心」という言葉で呼ぶことが出来る。
下條 そうすると、他人の心の前に自分の心は存在していると?
金沢 いえ、レベル2で他人の心が出てきて、レベル3で初めて他人の心の中に自分の心が出てくるわけです。まず他者の心が自分の心に先立つと思います。
下條 科学的根拠はあるんでしょうか
金沢 サルを見ていると、他者の行動をまず予測することが生き延びていくための最大課題なわけです。自分の心なんて分からなくてもいいわけですよ。
下條 なるほど。とても興味深いお話をありがとうございました。


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