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Curie, Marie Sklodowska (1867-1934).
Recherches sur les Substances Radioactives.
Paris, 1903, First edition.

マリー・スクロドフスカ・キュリー(1867-1934)
放射性物質の研究
パリ, 1903年, 初版

 ピッチブレンドからウランを抽出したあとの残渣がウラン自身よりも4倍も強い放射能を示すことに最初に注目したのはベックレルでした。そのベックレルは、当時弟子で友人でもあったマリー・キュリーにピッチブレンドを研究するようにすすめました。キュリーは夫ピエールと協同して早速この研究に着手し、1898年6月にピッチブレンドからウランの放射能の300倍も強い放射能を持つ新しい元素の分離に成功したのです。キュリー夫人はその祖国ポーランドの名にちなんでこの元素をポロニウムと命名しました。けれども、ウランとポロニウムを抽出した残渣にはなお強い放射能が残っていたのでした。
 キュリー夫妻はさらに研究を続け、1898年12月、遂にもう一つの物質、ウランの100万倍も強い放射能を持つ新元素を発見しました。夫妻にはこれをラジウムと名付け、その原子量が226.2であることを決定しました。以後数年にわたって辛く苦労の多い、実験を行った末に、数トンのピッチブレンドから純粋なラジウム0.1gを分離するのに成功したのは1902年のことであったのです。
 このほかキュリー夫人は夫のピエール・キュリーが発見したピエゾ効果を利用して初めて放射線の測定を行いました。ラザフォードと同じ様に、キュリー夫人は放射能の原子的性質をアルファー線の特性を示す事によって明確に表わし、電子とベータ線の間の同質性を示し、それらとガンマー線の区別を認めていたのです。
 1903年、キュリー夫人とその最も創造的であった時期、すなわち1897年から1903年にかけて行った上記の研究のすべてを詳細かつ厳密にまとめて学位論文を書きました。この学位論文はキュリー夫人の研究のすべてを包含し、それらを総合的に関連づけた初めての試みでした。この論文中でキュリー夫人はラジウムの放出する膨大な量のエネルギーのことを書いていますが、これは三年後にアインシュタインが質量とエネルギーの関係をE=mc2という式で示したものと同じものであったのです。キュリー夫人は放射能の化学的側面のみを明らかにしたのでなく、核物理学という新しい領域を開拓したのでした。これらの貢献とこの著作により、キュリー夫人、ベックレルと夫のピエール・キュリーは同じ年にノーベル賞を受けたのでした。
 

金沢工業大学ライブラリーセンター所蔵