ピッチブレントの中に含まれている新種の放射性物質について
1898年
ピエール・キュリー(1859-1906)、
マリー・キュリー(1867-1934)
 マリー・キュリーはポーランドからパリに来てソルボンヌ大学に学び、物質学と数学の修士の学位を取りました。その先生であったベックレルの研究に刺激されて、キュリー夫人とその夫のピエール・キュリーはその研究室でウランとトリウムについての研究を行いました。夫妻はある物質がその物質の量にくらべてきわめて大量の放射能を出している事をみつけたのです。この研究によって彼等は、新しい元素ポロニウムを発見したのでした。本書は夫妻の発見を報告した初めての論文であり、ここでキュリー夫妻は「放射性」という語を初めて用いたのです。