運動物体の電気的、光学的現象に関する試論
1895年
ヘンドリック・アントーン・ローレンツ(1853-1928)
 1875年、学位を取ってライデン大学を卒業したローレンツは、その二年後、24才の若さで、ライデン大学の理論物理学教授になりました。これは、当時形づくられつつあった物理学の新分野、理論物理学の教授職としては、ヨーロッパでも最初のポストのひとつでした。ローレンツはこの職に25年在職し、その後も、ハーレムのテイラー実験研究所、これは科学技術博物館に実験施設が付属したものでしたが、そこの館長になり、研究を続けました。彼は数学、物理学全般にわたって広く関心を持ち、研究した人でしたが、主要な研究分野はマクスウェルの創始した電気磁気学理論の研究で、これをその極限まで発展させました。つまりこれまでの電気磁気学の諸前提が再検討され、その理論が超えられねばならぬ様な点まで研究を押し進めたのです。実際、この事によってアインシュタインを刺激して、彼にこの理論を超えた相対性理論を作ったと言えるでしょう。
 マクスウェル以後、光の速度は約30万Km/秒であること、また、光は電磁波の一種であることが明らかにされていましたが、電磁波が何を伝わって伝播するのかについては、はっきり判っておらず、それはエーテルという仮想の媒質を伝わるとされていました。したがってこのエーテルは静止して宇宙空間を満たしていることになり、地球も太陽もこの中を運動している事になります。それだから、このエーテルに対する地球の速度が宇宙における絶対速度であり、もしこれが測定できれば、宇宙のあらゆる物体の運動の絶対値が決定出来る事になります。1887年、マイケルソンとモーリは、光を利用して、この速度を測定しようと試みました。それは地球の運動方向に光を出し、鏡を使って何度も長い距離を走らせ、同時にそれを直角方向にも光を出し、同じ距離を走らせ、終点で双方の光を重ねます。地球の運動方向を走る光は地球の運動の影響を受けた訳ですから、双方の光が重なった時、干渉が生じる筈であり、その干渉を測定すれば、地球の運動の光速に対する影響による時間差が計算でき、そこから地球の絶対速度が判る筈です。ところが結果は、何度確かめてみても、干渉は生じませんでした。つまり時間差は生じなかったのです。これはニュートン物理学に於いては、全く考えられない矛盾です。
 ローレンツは、この現象を考察し、本論文に於いて、驚くべき解釈をしたのです。つまり、地球からその運動方向に出された光は地球の運動に影響されており、それと直角に出された光との間には光速に違いが生ずる(マイケルソン=モーリの仮定)は正しい。にもかかわらず両者の最終到着の間に時間差がなければ、結論は唯ひとつ、双方の光の走った距離に差があり、したがって、地球の運動方向に走った光の走行距離が変化していることになるというのです。
 しかもその変動は、光の到着時刻が等しくなる様な分だけ起こることになります。地球の運動方向に出された光の速度は当然地球の速度+光速の早さということになりますが、地球はその運動方向においては、この速度がもとの光の速度になる分だけ、縮んでいる事になる訳です。
 この事は彼と同じくフィッツジェラルドも独立に発見したので、この原理は現在「ローレンツ=フィッツジェラルド短縮」と呼ばれています。これに基けばあらゆる運動系(慣性系)に於いて、観測される光速は一定という事になります。従って、ある運動系内に於ける運動を、他の運動系内から観測される運動に転換しようとする時は、この光速一定ということを考慮に入れた転換方程式によらねばなりません。1904年、ローレンツはこの方程式をたてて発表しました。これが「ローレンツ変換」といわれる式です。この様な成果によってローレンツはアインシュタインの相対性理論確立に決定的な寄与をなしたのでした。